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「ヒリモア」万国公法の内宗教を論ずる章(撮要)
「ヒリモア」ばんこくこうほうのうちしゅうきょうをろんずるしょう(さつよう)
作品ID51407
原題COMMENTARIES UPON INTERNATIONAL LAW
著者フィリモア ロバート
翻訳者柴田 昌吉
文字遣い新字新仮名
底本 「明六雑誌(上)〔全3冊〕」 岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年5月17日
初出「明六雜誌 第六號」明六社、1874(明治7)年4月28日
入力者田中哲郎
校正者hitsuji
公開 / 更新2020-11-05 / 2021-08-29
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

○万類の動物中、人類を除くのほか、一も上帝の上帝たるを識るものあることなし。」人類はたとい暴虐野蛮の種族といえども、その尊信するところの神の正邪はしばらく措き、神を拝することを知らざる者なし、と「シセロ」の説に見えたり。〈「ヒリモア」万国公法第二巻三百二十一葉にあり。〉
○物理の要するところ、人と教とは人間の幸福において互に相連結するをもって、これを担当すべき人の督理に多少相従わざるを得ず。」ゆえに「グロチュス」判然説て曰、宗教の益は原来上帝の恩徳を講解するにもっぱらなりといえども、人間の交際においてもまたその功力甚だ大なりと。」これよりして「プラト」は深くその道理を推し、宗教を指て政権の保障、性法の鏈鎖なりと云えり。〈三百二十二葉〉
○予あえて言う、一国その国教の情状により他教を禁ずるをもってその国の本分となすは、妨げなかるべしと。しかれどもこれがため惨酷の所業を施すも可なりと云うにはあらず。」宗教の用は人と上帝との交感に止まるのみならず、およそ世間の事業これによりて端緒を開くの稗補あり。かつ宗教はもっぱら人の本心上に帰するといえども、また生民行状の根底となるべきものにして、ついに人道の第一義に帰す。」某国の他教を禁ずる、必竟自国の平安を保つの主意に出るがごときは、すなわちこれを禁ずるの権利あり。(以上千八百十二年第四月「ロルドウェレスリー」が貴族議院において述告する説に係る。)〈三百二十二葉〉
○教会の説諭に曰、およそ人民、該撒〈(シーサル)〉の物はみな該撒に、上帝の物はみな上帝に帰すべし、と。また曰、世の官職は上帝の設くるところなり、と。また曰、およそ人民たるものは、ただに責罰のために敬服するのみならず、ことに良心のために敬服すべし、と云々。〈三百二十五葉〉

宗教の事に与聞する権利を論ずる章(撮要)

 〈上略〉回教征戦の名実につきては、なお深く推究せざるべからず。また耶蘇の宗徒たる者は、理明かに論正しく、かつ事勢やむを得ざるにあらざれば、あえて凶器を弄せずと云えることあり。これ吾輩のいまだ信ぜざるところなり。(以上「ギッボン」の説に係る。)
 右は著名なる歴史家の説にして、耶蘇教土の君士但丁〈(コンスタンチノポル)〉のことに係る。けだしこの説は真道の基本に依れり。〈「ヒリモア」万国公法第一巻五百十六葉にあり。〉
○同宗の教を奉ずる縁故をもって、事に与聞する権利において区別すべきものあり。この区別、事において肝要なりとす。」耶蘇教を奉ずる一国ここにあり、その教と同派のものを信ずる某宗徒のためにこの徒を管轄する他国(この国もまた耶蘇教を奉ず。ただし別派なり)の事に与聞せんと要するは、すなわちその理あり。これ区別の一なり。また耶蘇教を信ずる総宗徒のため、もしくはその一宗徒のために異教を信ずる他国の事に与聞せんと要す、またその理あり。これ区別の二なり。〈第…

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