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火事
かじ
作品ID51517
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「定本小川未明童話全集 13」 講談社
1977(昭和52)年11月10日
初出「山野に鍛へる少国民」1942(昭和17)年4月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者酒井裕二
公開 / 更新2017-11-20 / 2017-10-25
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 季節が、冬から春に移りゆく時分には、よくこんなような静かな、そして、底冷えのする晩があるものですが、その夜は、まさしくそんな夜でありました。一家は、いつものごとく時計が十時を打つと寝につきました。子供たちは、二階へ上がって、まくらに頭を載せると、すぐかすかな、健康で心地よさそうな鼻息をたてていました。兄が十六、弟が十であります。電燈が消されたから、二つのいがぐり頭が並んでいることは暗がりのうちではわかりませんでした。夜は、だんだん更けていきました。
 ブウー、ウー、ウー、警笛の声です。まず、眠りからさまされたのが、兄の信一でした。まだ眠りがまぶたに残っていて、顔を夜着のえりに埋めたまま耳をすましていました。
「風がなくていいな。」と夢の中だけれど思っていたときです。蒸気ポンプの轍が、あちらの広い通りを横の方へ曲がったようです。たちまち、ジャラン、ジャランというベルの音が、すぐ近く、大きくきこえました。
「兄さん、火事だよ。」
 弟の秀吉は、こういうと同時に飛び起きて、障子を開け、窓の雨戸を繰りました。
「真っ赤だ。」
「えっ、ほんとう。」
「そんなに遠くないよ。」
 信一は、弟の背後からのぞくと、なるほど、星晴れのした空の下に黒く起伏する屋根を越して、燃え上がる炎を見ました。さながら、赤いインキを流し散らすごとく、また惜しげなく投げられた金貨が燦然として飛ぶごとく、火焔は濃淡に夜の青ざめた肌を美しく彩っていました。すると、焼け出された人々や、その近所の人たちが、付近でうろうろしたり、大騒ぎをしたりしている有り様が、目に見えるような気がしました。
「叔母さんの家の方だね。」
「ああ、そうだ。叔母さんの家は、あっちだったね。」
「あの、すぎの木はどこだろう。」
 こんもりとした常磐木の林の、片面だけが火焔に照らされて、明るく浮き出ているのが見えました。
「どこの林だろう、あんな林があったかな。あの高い煙突は、たしか駅の方のお湯屋だから、そうすると、叔母さんの家は、やはりあのあたりだ。」
 二人の話し声が耳に入ったとみえて、お父さんも、お母さんも、二階へ上がってこられました。
「僕、叔母さんの家へ、みまいにいってきますよ。」と、このとき、信一が、いいました。
「だいじょうぶだ。叔母さんの家から、だいぶ離れている。」と、お父さんが、いわれました。
「かぜをひくといけないから、およしなさい。」と、お母さんも、いわれました。
「だって、叔父さんがお留守なので、叔母さんが心細いだろう。」
 信一は、もう洋服に着かえていました。だれがなんといっても自分は、いかなければならぬという堅い決心をようすにみせて、二階から駈け下りました。
 この時刻には、ポンプの走る音が方々でしていた。けれど火の手は、なかなか衰えそうにも見えなかったのです。先刻までまったくなかった風が、意地悪く出…

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