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考えこじき
かんがえこじき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「定本小川未明童話全集 13」 講談社
1977(昭和52)年11月10日
初出「子供の広場」1946(昭和21)年7、8月合併号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者酒井裕二
公開 / 更新2018-10-25 / 2018-09-28
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 人というものは、一つのことをじっと考えていると、ほかのことはわすれるものだし、また、どんな場合でも、考えることの自由を、もつものです。
 ある日、清吉は、おじさんと町へ、いっしょにいきました。そして、おじさんが用たしをしている、しばらくの間、ひとり、そのあたりをさんぽして待つことにしました。一けんの店では、いろいろの運動器具をならべ、のきさきに写真などをかけていました。すべてスポーツにかんするもので、ちょうど盛夏も近づいたから、山岳の風景や、溪谷、海洋のけしきなどが、目にもしたしまれたのであります。
 そのなかの一枚は、のこぎりのはをたてたような、山脈の姿であって、もっとも高いいただきには、雪が白くのこっていました。おそらく、夏の間じゅう、とけることなく、あたらしい雪が、またその上につもるのでありましょう。そのほかの山も、一つ、一つ、個性があって、あるものは、なんとなく近づきがたく、あるものは、なつかしみのもてるようなものがありました。とはいうものの、どれもここからはとおいかなたにあり、いったとしても、のぼるのは、よういではなかったのです。
 想像するに、一日じゅう、つめたいきりがかかったり、はれたりし、はげしい風に木立がざわめき、鳥のなく声のほかには、しんとして、べつにおとずれる人も、まれだったでありましょう。一年じゅうがそうであり、百年の間が、そうであったにちがいない。そしてこの山々は、昔も、今も、永久にだまっているのでした。
 けずりをかけたような、がけの上に立ち、谷をへだてて、前方のいただきを見上げる人があります。その人は、自然を愛するために冒険をしたのでしょう。足もとの下は、すぐ千じんのそことなって、急流が白ぎぬをさくように、みだれちらばっている石につきあたって、しぶきをあげています。
 写真に見いった清吉は、耳へ水音を、感じるのでした。
「もし、この人が、自分だったら。」
 かれは、よくこんな空想をします。それから、かってにその先をつづけるのでした。自分は、はたして、このきりぎしの上に立つだけの勇気があろうか。足がわくわくして目がくらみはしないだろうか。ひっきょう、勇気のないものは、いくら美しいものがあっても、鑑賞するどころか、ただおそれをおぼえるぐらいのものだと思いました。
 写真から目をそらすと、自分はあまりに異なった世界に立っているのでした。電車には、乗客が、すずなりにつかまっているし、トラックは、重そうな荷をいっぱいつんで走るし、自転車は、たがいに競争するように、前後にとんでいるのでした。
 かれは、店さきをはなれ、ちがった意味のなまなましいゆううつを感じながら、下を見て歩くうちに、もうすこしで、道の上につきでた、鉄棒の先へつまずこうとしました。
「あぶない、なんだろう?」
 すぎかけたのを、わざわざもどって、それをみつめたのでした。た…

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