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たましいは生きている
たましいはいきている
作品ID51607
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「定本小川未明童話全集 13」 講談社
1977(昭和52)年11月10日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者酒井裕二
公開 / 更新2017-08-16 / 2017-07-17
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 昔の人は、月日を流れる水にたとえましたが、まことに、ひとときもとどまることなく、いずくへか去ってしまうものです。そして、その間に人々は、喜んだり、悲しんだりするが、しんけんなのは、そのときだけであって、やがて、そのことも忘れてしまいます。
 この話も、後になれば、迷信としか、考えられなくなるときがあるでしょう。
       *   *   *   *   *
 わたしの兄は、音楽が好きで、自分でもハーモニカを吹きました。海辺へいっては砂の上へ腰をおろして、緑色のあわ立ちかえる海原をながめながら、心ゆくまで鳴らしたものでした。無心で吹くこともあったし、また、はてしない遠くをあこがれたこともあったでしょう。それは、夕日が花のごとく、美しくもえるときばかりでありません。灰色の雲が、ものすごく低く飛び、あらしの叫ぶ日もありました。
「正ちゃん、この海の合奏は、ベートーベンのオーケストラに、まさるともおとらないよ。人間が、いくらまねようたって、自然の音楽には、かなわないからね。」と、兄は、いいました。
 戦争が、だんだん大きくなって、ついに、兄のところへも召集令がきました。わたしは、その日を忘れることができません。いままで、たのしかった、家の中は、たちまち笑いが消えてしまって、兄は、自分の本箱や、机のひきだしを、片づけはじめました。
「いけば、いつ帰るかわからないから、ハーモニカを正ちゃんに、あずかってもらうかな。」
 こうきくと、わたしは、兄の気持ちを考えて、しぜんと涙がわきました。
「にいさんが、帰るまで、なんでも、そのままにしておくよ。」
「いや、もっと戦争が、はげしくなれば、この家だって、どうなるかしれんものね。」
 兄は、無事で帰れたなら、また勉強をはじめるつもりだったのでしょう。英語の辞書も、いっしょに渡しました。
 しかし、兄は、それぎり帰ってきませんでした。兄の船は、南方へいったといううわさでしたが、出発後、なんのたよりもなかったのです。
 わたしは、海辺に立って、はるかな水平線をながめて、ハーモニカを吹きました。入り日の前の空に、さんらんとして、金色のししのたてがみのような雲や、また、まっ赤な花のような雲が、絵模様のように、飛ぶことがありました。兄は、こんなようなたそがれが、大好きであったと思うと、いまごろ、どこかの島で、この空を見てるのでなかろうかと、ひとりでに、目の中のくもることがありました。わたしは、せめて、この真心の、兄に通ずるようにと、ハーモニカを吹いたのでした。
 また、あらしの日にも、兄のしたごとく、浜辺へ出て、鳴らしました。しかし、兄のハーモニカが、ここにありながら、それを愛する兄の、いないということは、考えるとさびしいかぎりでした。
 その翌年の夏には、公報こそ入らなかったけれど、兄の戦死は、ほぼ確実なものとなりました。
 ある…

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