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頬よせてホノルル
ほおよせてホノルル |
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作品ID | 51737 |
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著者 | 片岡 義男 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
入力者 | 八巻美恵 |
校正者 | 野口英司、八巻美恵 |
公開 / 更新 | 2010-06-01 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 176 ページ(500字/頁で計算) |
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ラハイナの赤い薔薇
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1
三十分ほどまえに、ぼくは目を覚ましベッドを出た。ついさっき、シャワーを浴びた。うなじのあたりが、まだ濡れている。いまは朝だ。
朝食を作るために、ぼくはキチンに入ってきた。キチンの窓のまえに、ぼくは立っていた。窓の外にある景色を、ぼくは見ていた。「ホノルルの景色として、最高の景色のひとつが、この家ではキチンの窓からでも見ることができるのですよ」ぼくがこの家を借りるとき、不動産エージェントは、そう言っていた。
最高であるかどうかは、いまは問わないとして、いい景色であることは確かだ。ホノルルの市街地とそのむこうに大きく横たわっている太平洋、そしてその上の空とを、この窓から一望することが可能だ。家は、高台に建っていた。ホノルルが海と接するあたりから見ると、このへんは相当な高度だ。窓から見える広い景色に対して、この高度は、バランスがちょうどいい。景色が具象を離れて抽象となっていく、そのちょうどはじまりのあたりに、この家は位置していた。
ここへ来るまえは、ぼくはサンフランシスコにいた。そして、サンフランシスコのまえは、ニューヨークだった。ニューヨークからサンフランシスコへ来ると、あらゆることのペースが、がくんとゆるやかとなる。サンフランシスコからホノルルへ来ると、ペースはさらにおだやかになる。しかし、ここも都会であることに変わりはなかった。その都会のなかでの日常を連想することなく、都会の景色をこのキチンの窓から眺めることができた。これ以上に高いところ、たとえばハイライズの最上階に近い部屋からだと、そこから見える景色は抽象化されすぎてしまうだろう。
ホノルルの街は、思いのほか白い。ここでは、ぼくは、毎日の朝を、自分の好きなようにスケジュールすることができる。だから、基本的には毎日、ぼくはいい朝を迎えることができる。いい朝は、そのまま、いい夜からはじまっている。昨夜がいいから、今朝もいいのだ。
窓辺に立っているぼくは、うしろにあるゆったりとしたキチンのスペースをふりかえってみた。キチンとつながっているような、あるいはつながっていないような、微妙な造りになっているダイニング・アルコーヴのテーブルは、すでにセットしてあった。昨夜のうちにセットしたのだ。いい夜とは、たとえばこのようなことをも意味する。
さて、今日は朝食になにを作ろうか、とぼくは思う。冷蔵庫のなかに入っているさまざまな材料について、思いめぐらす。入っている材料のうち、およそ半分を手に入れたマーケットや店が、いまぼくが眺めている景色のなかに存在している。あのあたりに、スーパー・マーケットがある。あのあたりに、あの店。そして、あの店は、もうすこしだけむこうの、そう、あのあたりだろう。
なにを作ろうか。コーヒーだけ、とい…