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若き姿の文芸
わかきすがたのぶんげい
作品ID51770
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「芸術は生動す」 国文社
1982(昭和57)年3月30日
入力者Nana ohbe
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-01-26 / 2014-09-16
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 主義を異にし、主張を異にしている作家は、各自の天分ある主観によって人生を異った方面から解釈している。材料を異った方面から採って来ている。或主義と或主義と相容れないのは、人生に対する解釈が異い、観方が異うからである。或る作家は社会に生起する特殊の材料を取り扱い、或る作家は、永久に不変の自然を材料に取扱っている。畢竟、作家得意の観察から入り、深く人生に触れんとする努力から斯く異った態度を示すのである。是等の異った作家が各々異った意義と形の上で異った印象を人に与うるのに異論がない。
 故に、各派の芸術が主張する、主義、態度、即ち人生の批評に関しては容易に善悪を判ずることが出来ないばかりか、何人と雖も、少くも既に主義となって形成せられた現在の文芸の主義に対して、根本的に其の主義の善悪を言うことは間違っている。其の批評家には、未だ其れを言うだけの権威と資格が足りないと思う。
 理想主義、自然主義、享楽主義、等に関し、我が文壇の批評家は、今迄世間に現われている其れ等の作の効果を以て、其の主義の根本の主張、及び人生観に関して是非するには尚お早い。何の主義によらず唱えらるゝに至った動機、世間が之を認めたまでには、痛切な根柢と時勢に対する悲壮な反抗と思想上の苦闘があったことを知らなければならぬ。だから、批評家が一朝机上の感想で、之を破壊することは不可能であるし、また無理だと思う。
 茲では、其の事について云うのでない。要は、理想主義によらず、自然主義によらず、享楽主義によらず、主義と其の主張を問うのでなく、芸術品として出来上ったものに対して、等しく吾人に与えなければならぬものがあると思う。
 即ち『若やかな姿』である。是れ芸術品の吾人に与える本来の感じであると思う。無興味、無理想、無解決を根柢にした作物にせよ、何処にか『若やかな姿』を見出さなければ芸術品として劣等なものだと思う。
 主義、主張と、芸術品を製作する時との感興は別でなければならぬ。製作家が感興に満ちていなければ、作品に光の出る理由がない。製作家の頭が活々として、真に感じ、真に動かされた事実であったなら、たとえ技巧が拙であっても尚お、輝きと、此の若やかな姿とを持っている。
 すべての芸術は、広義の意味のヒュマニティに立脚している。知的分子もあるに相違ないが、情緒の加わらぬ芸術はない。此の意味に於て芸術は、常に永久性を持っているものである。芸術の与うる感じは愉悦の感じでなければならぬ。男性的のものゝ中にも女性を帯びたものでなければならぬ。言を換えていえば芸術の姿其れ自身が本来女性的であると思う。
 或る芸術品に対した時、其の作品から吾人は何等の優しみも、若やかな感じも与えられず、恰かも砂礫のような、乾固したものであったなら、其れは芸術品としての資格を欠くと謂い得る。芸術には『冷たな』芸術がある。たとえ冷たな芸術品で…

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