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人間性の深奥に立って
にんげんせいのしんおうにたって
作品ID51777
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「芸術は生動す」 国文社
1982(昭和57)年3月30日
入力者Nana ohbe
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-01-23 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は学校教育と云うものに就ては、現在の状況からすると小学校のそれに最も重きを置く。それは今日の状態にあっては大学及び其の他の専門学校と云うものは殆んど民衆にとってはこれと云う貢献がないと信ずるからである。何故かと云うに一般民衆にとって大学教育を受くると云うことは経済的に殆んど不可能の事であるし、今一つは大学教授と云うような人は自分の専門的の学科には忠実であろうが、学生の人格の養成や、或はどのような人間を作ろうかなど云うような事に就ては欠陥があるように思う。今の大学などでは殆んど一年の三分の一は休みであると云う状態で、あゝまで休んでいて何が出来るだろう。それに又月謝やその他の費用がとても民衆には払われるものでない。要するに金持の子弟の遊び場所にすぎないのである。――それに又其等の学校を出れば一定の職業を与えらるゝのが――在来の習慣若しくは形式になっている。此の如き大学の組織である以上、吾々にとっては殆んど無意味である。
 そうすると如何しても今のところ小学校が一番重大な使命をもっている。又小学校の時分に与えられた感化程深刻なものはない。ほんとうの人間性や、美くしい感情や、正しい事の観念などは、感激性にとむ少年時代に於てのみよく養われるのではないかと思う。この意味からしても、小学校の教育が多分に精神的要素をもっていることは明かである。
 小学校の教師も今日の経済組織の下に生活していては、それが職業化することは止むを得ぬ事であろう。とは云えあの子供たちの世話と云うものは決して愛がなくては出来るものではない。現在うみの親でさえ子供の世話には余程の困難を感ずるものである。これより深き注意と感化とを与えようと努力している点から之を眺めると、それは決して単なる職業とのみ観る訳には行かない。そこに深い社会奉仕の尊さが潜んでいると思う。
 大学の教授たちが自分の専門に没頭して、只だそれを伝えると云うような事以外に、小学校の先生には更に教うる生徒に対して深い愛情がなければならぬ。
 然し乍ら私は現在の小学校の先生方が皆かくの如き人格者のみであるとは思わない。丁度医者が昔から仁術であると云われていながら、その大抵は金とり主義になっているように、小学校教師にも自己の職務を余りに職業視している人があると思う。私はある時郷国の小学校に就て其の内幕をみるの機会を得たのであるが、其の風儀の壊廃は実に驚くに堪えたるものであった。それは矢張り政党等の内幕にあるような実情問題であった。何れの社会でも今日の状態ではきたない事はある。それが小学校に於て児童の事に関して存在するを見るのは誠に忌まわしいものだ。
 小学校の教育が学術そのものよりも人間の感化にある事は何人も認めている事である。人間の感化とは生徒それ自身の有する各違った個性を成長させることに外ならぬ。今の教育は多くの生徒を一教場の内に集め…

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