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婦人の過去と将来の予期
ふじんのかことしょうらいのよき
作品ID51780
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「芸術は生動す」 国文社
1982(昭和57)年3月30日
入力者Nana ohbe
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-01-23 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は、その青春時代を顧みると、ちょうど日本に、西欧のロマンチシズムの流れが、その頃、漸く入って来たのでないかと思われる。詩壇に、『星菫派』と称せられた、恋愛至上主義の思潮は、たしかに、このロマンチシズムの御影であった。
 それは、ちょうど、今から、ずっと溯った二十年前であった。日本の青年男女に、はじめて交際の自由が唱道せられた時分である。それまでは、男女席を同うせずといったような堅苦しい旧道徳の束縛が、互に物を言ったり、交際するのをすら障げていた。これに対する反動は、たゞちに、恋愛至上主義にまで行ったのである。
 その頃の若い詩人や、また文学に志した者が、親達のすゝめる結婚を忌避して、さかんに自由結婚をしたのは、即ち旧道徳に対する破壊運動に他ならなかった。
 しかし、それは、『星菫派』と称せられた如く美しい夢に過ぎなかった。彼等は、後に来る経済生活については、考えなかったのだ。しかし、家庭を持ち、子供が生れ、父となり母となるに至って、恋愛至上ということが、事実に於て一片の空想に過ぎないのを知ったのだ。
 この次に、起ったものは、自然主義の思想であった。このことは、一層、現実生活の幻滅を裏付けた。そして、人間は欲望を離れて生活も存在もあり得ないと言うにあった。無理想を呼号したのも、偶然でなかった。男女関係は欲望の充塞以外にないとも言った。その思想には、人間性の飛躍も、向上も無視した誤謬はあったが、これがために、恋愛至上といった、空想は破れたのである。そして、人間生活を現実的に、実際的に凝視せしむるに至った。
 幻滅の悲哀は、人間生活の何の部面にも見出された事実ではあったが、殊に、各自の家庭に、最も、そのことを見出した。恋愛至上主義によって、結婚した男女は、いまや、幻滅の悲哀を感じて、いまゝで美しかったもの愛したものに、限りない憎悪と醜悪とを感じたのである。加うるに、最も自己の欲望を満足することが、意義ある生活だと考えたところから彼等は、家庭を破壊して、新しい愛欲の生活に入ろうとつとめたものもある。
 今から、ちょうど九年乃至十年前の日本の社会は、斯の如き、現象が著るしかった。夫を捨て、子供を捨て、自分の好める男と奔った。即ち家出をした女を、殊に、知識階級の家庭に沢山見たのである。
 このことは、女の自覚とも見らるれば、また、一面から観察して、無自覚とも見られたのである。女は、永久に、男の奴隷たるに甘んぜずとする点は、たしかに、女の自覚を意味し、反抗をも意味したけれど、家出した女はどうなったか? やはり、同じような醜汚な生活を他の場処でしているに過ぎなかった。
 すべての女性は、経済的に独立しなければならぬと悟ったのは、それからであった。
 先ず経済的に独立しなければ、男子の専横から遁れることができない。こう知った女は職業をこの社会に向って要求したのである。

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