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お母さんは僕達の太陽
おかあさんはぼくたちのたいよう
作品ID51794
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「芸術は生動す」 国文社
1982(昭和57)年3月30日
入力者Nana ohbe
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-01-14 / 2014-09-16
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 子供は、自分のお母さんを絶対のものとして、信じています。そのお母さんに対して、註文を持つというようなことがあれば、それは、余程大きくなってからのことでありましょう。たとえば、お母さんに頼んだことを、きちんとしてもらいたいとか、また、他の教養あるお母さんのように、話が分ってほしいとか、もっと様子を綺麗にしてもらいたいとか、言葉使いなど上品にしてもらいたいとか、恐らく、この種のものでしたら、多々あることでしょう。しかし、要求を心の中に持つ場合があっても、冷かに批判的にお母さんを見るようなことはない。いつになっても、子供には、自分のお母さんが、絶対なものに見えるのであります。そして、それがほんとうと思われるのであります。
 殊に、幼児の時分には、お母さんは、全く太陽そのものであって、なんでもお母さんのしたことは、正しくあればまた美しくもあり、善いことでもあったでありましょう。実に、子供の眼には、お母さんは、人間性そのものゝ化身の如く感ぜられるのです。お母さんの善いところは、汲んでも、汲み尽されない、その愛情にあります。お母さんは、子供のためなら、どんな苦しいことでも、厭といわれたことはない。正しくさえあれば、必ずして下さいます。
 美しいといえば、お母さんのお顔です。そのお顔は、どれ程見ても、飽きないばかりか、しばらくそのお顔を見なければ、寂しさに堪えられなかったのです。そのお母さんに対して、何の註文のあろう筈がありましょうか。
 もし、子供に、望みというものがあったら、それはいつもお母さんが、自分の傍にいて下さることだけです。世の中のお母さんは、すべて、この子供の心をよく知らなければならない。これを知ったなら、お母さんは、いつも公正であるであろうし、やさしくあるでありましょう。
 子供が、外から家へ入って来る時、どれ程こみ上げる程のなつかしさを持っていたか知れない。戸口を跨ぐや否や「お母さん!」と、呼ばずにはいられないのです。
「はーい」と、いう、お母さんのやさしい声をきく時、ほんとうにうれしく、心に満足を覚えるでありましょう。
 また、学校にいて、半日、お母さんの顔を見ないことは子供にとっては、苦しいことであります。帰りを急ぐのも早くお母さんのお顔を見たいためでした。たゞ、家へ帰れば、その願いがとどくと信じたのに、
「お母さん、只今」と、呼んでも、お母さんの返事がなかったら、その時は、どんなであろうか。二たび呼んで見る、三たび呼んで見る、その時の失望が思いやられる。それが果してお母さんに分るであろうか。
 私が、子供の代弁をして、お母さんたちに望むところは止むを得ざるかぎり、家にいてもらいたい、そしてやさしい返事をして下さい。日本の家庭がみんなそう出来るなら、子供たちは、どんなに幸福なことであろうか。麗わしい家族制度のためにも、私は、お母さんが、いつも家庭の…

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