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自分を鞭打つ感激より
じぶんをむちうつかんげきより |
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作品ID | 51804 |
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著者 | 小川 未明 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「芸術は生動す」 国文社 1982(昭和57)年3月30日 |
入力者 | Nana ohbe |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2012-01-17 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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田舎の小学校の庭であったが、林から独り離れて校庭の中程に、あまり大きくない一本の杉の木が立っていました。生徒等は、この木をば、目印にして鬼事をしたり、そのまわりで、遊んでいました。いつしか木の根許の土は、堅く石のようになり、その木の垂れ下った大枝は折られ、木の幹の皮は剥がれて、悲惨なものになりました。そのうちに冬が来て、雪は、その木の半分を埋めてしまった。
哀れな枝は寒い風に吹かれて、恐らく、その年のうちにも枯死するものと思われました。しかるに雪が解けて、春となって、いろ/\の木が芽ぐんだ時分、その杉の木も新緑を芽ぐんだのでした。二たび子供等は、校庭へ出て遊ぶようになりました。
その時、年とった体操の教師が、この木の下に立って、さも痛ましそうにして、皮の剥がれた幹を撫していましたが――よくこれで水を吸い上げるものだと言わぬばかりの顔をしながら――やがて、何に深く感動してか、溜息を洩らして、
「苛められる者は、強い!」と、言いました。
傍で、彼の独語を聞いていた私は、曾て覚えなかった程の印銘を、その言葉から感じたのです。そして、日の光りに照されて輝く老教師の禿頭をじっと見守りました。
学校の教師の中でも、苛められる教師があり、同じ級の中でも、苛められる生徒がありました。その人達が、何のために苛められるのか、私は、それを解することができなかったのです。
人間には、弱い者を踏み躙るという、醜い本能があります。私は子供の時分から、敏感にそのことを感じました。そして、いつも苛められる弱い生徒が、体を固くして、隅のところに縮んで、警戒する身構えを忘れることができません。それと関聯して、校庭にあった、あの一本の苛められた大杉の木が、傷ましい姿で、よく生を保ちつゝあった強い姿を忘れることができません。
また、村で、感冒が流行した時分にも、貧乏人の子供は、足袋も穿かず、木枯しの吹く中を薄着をして、少しも寒がらずに元気よく遊んでいた姿を見るにつけて、「苛められる者は、強い!」と、いう言葉を思い出しました。
過去に於て、この言葉は、真理であったばかりでなく、老教師の言った、この言葉は、現在に於ても、尚お、私に、真理を感じます。
苛められて、滅びて行くものは無力だからです。真実なるがために、正義なるがために苛められて、争抗をつゞける者によってのみ、この社会は、浄化されるのです。
彼等の強いのは、真理を味方とするからです。苛められる者だけが、鞭の痛さを、人間性を、この社会の真相を、また友人をも、敵をも、真に知り得るのでありましょう。
「長崎あたりに来ているロシア人は、ポケットに、もはや幾何しかの金がなくても、それを憂えずに、人生について論議している……」と、いうような話をきいたことがある。その時も、私は、感激を覚えたのです。
何となく私には、幽暗なロシア――ガ…