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読んできかせる場合
よんできかせるばあい
作品ID51818
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「芸術は生動す」 国文社
1982(昭和57)年3月30日
入力者Nana ohbe
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-01-26 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 お母さんたちが、何か心配なことでもあって、じっと考えていられるとします。いつもなら、快活にお話なさるものが、その時ばかりは、全く、言葉さえなく口を噤んで、そして、いつもにこ/\として、やさしい顔から、笑の影の絶えなかったものが、なんとなく打ち沈んで、瞳をひとゝころに落していられたとします。
 たとえ、その様子に対して、何人もが、注意しなくとも、かならず、あなた達の小さな坊ちゃんや、お嬢さんは、眼敏く、お母さんの顔色を読むにちがいありません。そして傍に寄って来て、
「どうしたの? お母さん。ねえ、どうしたの? お母さん」
 こう言って、問うでありましょう。そうして、小さな心を満足するだけの返事をきかぬうちは、その言葉をくり返えすにちがいありません。
 いったい、これ等の事実は、何を物語るものでしょうか。こうした場合に於ける、お母さん達の態度は、また、いろ/\であると思われます。たとえば、あるお母さんは、
「いま、ちょっと、お歯が痛んだものだからこうしていたのですよ」と、さりげなく言って子供に安心を与えるでありましょう。また、あるお母さんは、
「うるさいから、あちらへ行っておいでなさい」と、つっけんどんに、答えたでありましょう。そして、また、なかには子供が、しんけんで、きいているにかゝわらず、お母さんは、返事もせずだまっているにちがいない。
 けれど、子供たちは、答えがあるまでは、おなじことを何遍もくりかえして、その傍を離れようとはしないでありましょう。しかも、最後に、罪もないのに、怖しい眼でにらまれ、もしくは、叱られるようなことがないとは限りません。
 以上のことは、大人が、自分達の身の上に起った問題を、子供等に言っても分らないときめることからはじまります。成程、子供達には、その問題を現実として解決する、何ものゝ力をも有しないのは勿論でありましょう。けれど、問題の意味と性質さえ分れば、共に悲しみ、共に喜ぶことだけは、いかなる他人が寄せるよりも、もっと深く、且つ殉情的であるかは、すでにお母さん達が、自分の子供等についてよく知っていられる筈であります。
 私は、子供程、敏感なものはないと考えます。よく親の顔色を見、その心持を察するばかりでなく、嘘と真とを聞き分ける能力を持つことに於て、まことに驚かされるものがあります。
 また、これに反して、たとえば、お母さん達が、子供を訓戒するための方便として、空涙を出されても、或は、いかに上手に芝居をなされても、ついに子供の眼を、心をあざむくことはできなかったにちがいない。たとえ、一時はあざむくことがあったにしても、後になって、あざむいたということが分り、却って、悪い反動を来たしたことによって、後悔なされたことがあったにちがいありません。
 もう一つ、異った例を挙げます。
 お母さんや、お姉さん方が、何か子供たちにとってため…

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