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![]() みんげいのせいしつ |
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作品ID | 51825 |
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著者 | 柳 宗悦 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「民藝とは何か」 講談社学術文庫、講談社 2006(平成18)年9月10日 |
入力者 | Nana ohbe |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2012-08-13 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 16 ページ(500字/頁で計算) |
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吾々は皆個人主義時代に生れた子供達です。個人の意識が擡頭してから歴史はすでに数世紀を経ました。藝術の領域では文藝復興期に始まり、哲学ではデカルトに起ったと云われます。中世時代の「神中心」‘Theo-centric’の思想が廃れて、「人間中心」‘Homo-centric’の思想が勢いを得ました。それ以来力のある個人を中軸として世界の歴史が動き始めました。私達は英雄崇拝の教えに育てられてきました。
個人主義は個人の自由を標榜する主張です。それ故これは自由主義と深く結合しました。経済においても哲学においても文学においても個人主義に許づいた自由主義がすべてを風靡する概がありました。私がこれから述べようとする美の領域においても近世に関する限り、この思潮が圧倒的な力でした。誰も知る通り個性の表現ということに藝術家の目標が置かれました。そうして個性に立つかかる作家を人々は「美術家」と呼びました。ですから近世において「美術家」という言葉は重い意義を有ち、したがって社会に高い位置を占めるに至りました。
かかる美術家の作ったものを、特に「美術品」‘Fine art’という言葉で現わし、職人達の作るものと区別するに至りました。云うまでもなく、これは個人作家が美の表現を第一の眼目として作った自由な作品を意味するのです。ですからかかるものを「純粋藝術」‘Pure art’と呼びました。それは「実用品」‘Practical art’と同一視するべきものではないと考えられているからです。私はこれ等の趨勢が、時代の要求として成し遂げた大きな働きについて疑うものではありません。幾多の個人的天才が立派な仕事を残しました。
ですがモリス William Morris 以降、造形美の領域は、「美術と工藝」‘Arts and Crafts’という二つの言葉に分離され、また「藝術家」‘Artist’に対し「職人」‘Artisan’という言葉を対峙的に用いるようになりました。見る美術と用いる工藝とは格が違うと考えられました。もとより人々の尊敬を集めているのは美術家の作る美術品です。
しかしここに注意しなければならないのは、これ等の対立する言葉は歴史が未だ浅く、古くは同一の意味があったのです。Art も Craft も共に技能 Skill を意味し Artist も Artisan も共に工人‘Artsman’を意味しました。しかし近世において個人主義が美の領域を支配するにつれ、その間に漸次区別ができ、工藝に対して美術は上位にあり、また職人に対して藝術家は高い階級を獲得するに至りました。
ですから美の標準は「美術」の上に置かれました。ものが美しい時、人々は「美術的」‘Artistic’という形容詞を用いるに至りました。人々は決して「工藝的」‘Craftistic’という字を用いません。工藝は実…