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青銅の基督
せいどうのキリスト
作品ID51826
副題――一名南蛮鋳物師の死――
――いちめいなんばんいものしのし――
著者長与 善郎
文字遣い新字新仮名
底本 「青銅の基督」 岩波文庫、岩波書店
1927(昭和2)年12月5日
初出青銅の基督「改造」1923(大正12)年1月<br>後記「青銅の基督」岩波文庫、岩波書店、1950(昭和25)年11月5日第5刷改版
入力者Nana ohbe
校正者officeshema
公開 / 更新2021-10-29 / 2021-09-27
長さの目安約 136 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

はしがき

 父秀忠と祖父家康の素志を継いで、一つにはまだ徳川の天下が織田や豊臣のように栄枯盛衰の例にもれず、一時的で、三代目あたりからそろそろくずれ出すのではないかという諸侯の肝を冷やすために、また自分自らも内心実はその危険を少なからず感じていたところから、さしあたり切支丹を槍玉にあげて、およそ残虐の限りを尽くした家光が死んで家綱が四代将軍となっていたころのことである。
 実際、無抵抗な切支丹は、いわゆる柔剛そのよろしきを得て、齢に似合わずパキパキと英明ぶりを発揮して、早くも「明君」といわれた家光が、一方「国是に合わぬ」ことはどこまでも厳酷に懲罰して仮借するところがないという「恐ろしさ」を諸侯に示すには得やすからざる好材料であった。「なんといってもまだあの青二才で」とたかをくくって見ているらしく思われた諸侯たちを、就職のとっ始めから度肝を抜いてくれようと思っていた若将軍の切支丹に対する処置の酷烈さと、その詮索し方のすさまじい周到さとは、たしかに「あわよくばまた頭をもたげる時機も」と思っていた諸侯の心事を脅かし、その野望を断念せしめて行くにはきき目は著しかった。奥羽きっての勢力家で、小心で、大の野心家であった伊達政宗さえ、この年少気鋭な三代将軍の承職に当たって江戸に上った際、五十人の切支丹の首が鈴が森ではねられるのを眼のあたり見て、そのヤソ教に対する態度をガラリと変えたほどであった。
 かくてなんでも徳川の基礎を万代に固めることが自家一代の使命であると心得ていた家光は、諸侯と直接刃をまじえて圧迫するようなまずい手段によらずに、諸侯がともかくも同意しないわけに行かぬ理由と名義のもとに、この日本の神を否定し、国法を無視し、羊のような柔和な顔をして、その実国土侵略の目的を腸に持っている「狼」の群れをみな殺しにすることによって、間接に徳川の威勢を天下に示し、同時に自分のそれの反照を眼のあたり見ることができることをこの上もなくおもしろがり、喜んだ。なんとなく気味のわるかった姻戚の伊達政宗までが思いがけない奥羽での切支丹迫害の報告書を奉った時、彼は自分がもうそれほどまでにおそれられているのかという得意のために、まだどこか子供子供したおもかげのぬけきらぬ顔をあかくし、パタパタとその書面をたたきながらそれを奥方に見せに座をけって立ったほどであった。
 しかし切支丹が神の道と救いの教を説くと称して実は日本侵略が目的であるということはただ彼の称えた口実ではなかった。実際彼はそう信じていたので、それはまたそのはずであった。朝廷に最も勢力のあった神道主義者と仏僧とのヤソ教に対するあらゆる反対讒訴姑息な陰謀は秀吉時代からの古いことであったが、まだそのほかに商業上の利害の反目からフランシスコ・ザヴェリオ以来日本の貿易と布教とを一手に占めていたポルトガル人をおとしいれようとして、元来スペ…

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