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牛山ホテル(五場)
うしやまホテル(ごば) |
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作品ID | 51829 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集4」 岩波書店 1990(平成2)年9月10日 |
初出 | 「中央公論 第四十四年第一号」1929(昭和4)年1月1日 |
入力者 | kompass |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2012-05-03 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 66 ページ(500字/頁で計算) |
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牛山よね ホテルの女将
同 とみ よねの養女
藤木さと 真壁の妾
石倉やす 仏蘭西人の妾
真壁 S商会出張所旧主任
三谷 S商会出張所新主任
三谷夫人
鵜瀞 S商会社員
島内 同
金田 金田洋行主
岡 写真師
納富 剣道教師
ロオラ 別居せる真壁の妻
その他、ボーイ、車夫、水夫、女等
仏領印度支那のある港
九月の末――雨期に入らうとする前
港に近く、仏国人の住宅地と、所謂「アナミツト」の部落とに接する一区劃、その中心にある日本人経営のホテル。
一
ホテルの帳場兼女将の居間――畳が敷いてある。
前面一段低く、椅子、テーブルを置いた土間。
右手に玄関を兼ねた撞球場に通ずるドア。左手は二階に上る階段と、食堂の入口。正面は大きな窓。
そこから波戸場の一部と水平線が見える。
日が暮れようとしてゐる。
とみ(十九)が、風呂から上つて、化粧をしてゐる。
やす(二十九)は、腹這ひになつて雑誌を読んでゐる。
二人とも白木綿の襦袢に腰巻だけをしてゐる。
さと(二十四)が、土間の上り口に腰をおろして、ぼんやり窓の外を見てゐる。これは、浴衣がけである。
さと 船はもうさつきから、著いたつだツとん、なんしとツとだろかい。
とみ ベル・ビユウで茶でも飲んどツとたい。
やす 検疫で止められとツとだろ。上海から来た船はやかましかもん。
とみ ほんに、コレラのはやつとるとだつた。おやすさん、風呂へ入つてこんかな……。
やす 今日は、やめとかう。
とみ ひゆうじこつけ……!(無精者!の意)
やす 東京の奥さんに見てもらへばええ、印度支那にどぎやん別嬪がをるか……。
さと 船のつく日はいやいや。なんにも手につきやせん……。
やす あんたが、また、何を待つとツとな。
とみ ムツシユウ・真壁たい、きまつとるぢやなツか。
やす 今まで其処へをつた人間ば、誰が待つもんか。
とみ そんなら誰や。
さと …………。
やす 今度来る主任さんな、あんた、名前ば覚えとらんかい。
さと ムツシユウ・三谷……。
やす さうさう、今朝、八号に行つたりや、そんムツシユウ・三谷のこツで、みんな大騒ぎだつた。
とみ 奥さんば連れて来ツていふとだツてえ……。
さと そら善かばツてん、わしがこと、なんか云ふとりやせんだつたかい。
やす あんたぐりや、運のよか人間な少なかて云うとつた。
さと さういふこつぢやなかと。あつちのおツ母さんがわしのこつば悪う思ふとりやせんかしらん……。
やす どうしてや。ただ、こぎやにや云ふとつた。――あん娘がもうちツと、家できばツてくるツと、よかばツてんがあて……。
さと そぎやんした相談ばもちかけられたばツてん、わしや断わつた。そぎやん云ふつてちや、今から、いくらなんでもなあ……。
…