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是名優哉(一幕)
これめいゆうかな(ひとまく) |
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作品ID | 51831 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集4」 岩波書店 1990(平成2)年9月10日 |
初出 | 「悲劇喜劇 第四号」1929(昭和4)年1月1日 |
入力者 | kompass |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2012-04-06 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 15 ページ(500字/頁で計算) |
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[#ページの左右中央]
男甲に扮する俳優
女乙に扮する女優
舞台は神戸のあるホテルの休憩室
[#改ページ]
男と女とが茶卓を挟んで向ひ合つてゐる。
男 (煙草の煙を大きく吐き)
たうとう日が暮れました。
あの船では、もう夕食の鐘を鳴らしてゐるでせう。
瀬戸内海の島々に灯が点く頃
日本を離れる人たちの胸は
一斉に締めつけられるのです。
女 (遠くを見つめながら)
でも、あの人は甲板の上で
あんなに笑つてゐましたわ。
男 僕は、あなたのお顔ばかり見てゐました。
あなたがお泣きになるところを
一度見て置きたかつたのです。
女 お気の毒さま……。
潮風が眼にしみて、
いくらか涙ぐんでゐるやうに見えたかも知れません。
それに、あのまぶしい海の光……
ぢつと眼をあけてゐるのさへ苦しいほどでした。
泣くものですか。そんな……。
男 テープが切れると
あなたは袂からハンケチを出して
振るでもなく、振らぬでもなく
それを肩のへんで弄んでおいででした。
女 あの人だつて
帽子をぬいだまま
ぢつとこつちを見てゐるだけなんですもの……。
男 ほかの見送人をごらんなさい。
女の人で
泣いてゐなかつたのは
あなた一人ぐらゐのものです。
流石は武士の妻だと
昔なら感心するところでせうが
今は万事
西洋風の世の中です。
あなたは殊に
われわれ仲間の細君としては
ハイカラな奥さんで通つてゐる。
見送人下船の合図で
涙ながらに
御主人とお別れのキツスをされても
一向不思議とは思はんです。
女 あたくし、あの時は
こんなことを考へてゐましたのよ。
――さあ、これでいよいよ自由になつた。
三年間は誰に遠慮もなく
勝手に羽根が伸ばされる。
外へ出ても
夕御飯を支度をしに帰る世話もなく
帯を一本買ふのにも
相談をする面倒がない。
あの船が
何かの故障で
また後戻りをしなければいいがなんて……。
男 そんなことをおつしやると
僕、手紙で云つてやりますよ。
――君の細君はけしからんぜ。
一人で寂しく
君の帰りを待つてゐると思ふと
それこそ大間違ひだ。
あの調子だと
どんなことをしでかすかわからん……。
女 さうすれば
第一に
あなたが変だと思はれるだけですわ。
男の方で
一番、あたくしと
親しい口の利き方をなさるのは
あなたですもの。
今日、船が出る前に
あなたには聞えないやうに
かう云ふんですのよ。
――今晩、…