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雨月物語
うげつものがたり |
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作品ID | 51895 |
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副題 | 04 解説 04 かいせつ |
著者 | 鵜月 洋 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「改訂 雨月物語 現代語訳付き」 角川文庫、KADOKAWA 2006(平成18)年7月25日 |
初出 | 「雨月物語」角川文庫、角川書店、1959(昭和34)年11月30日 |
入力者 | 砂場清隆 |
校正者 | みきた |
公開 / 更新 | 2023-11-29 / 2023-11-21 |
長さの目安 | 約 16 ページ(500字/頁で計算) |
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「雨月物語」は、安永五年(一七七六)に出版された、五巻五冊、全九話を収めた、いわば短篇小説集で、著者は上田秋成であり、これを近世小説のジャンルでいえば読本とよばれるものであるが、その文学的性格にそくしていえば、伝奇小説、時代小説、怪異小説、翻案小説などとよんでいいものである。――このアウトラインにしたがって、簡単な解説をこころみておくことにしたい。
「雨月物語」が最初に出版されたのは安永五年四月、半紙本五巻五冊のかたちであった。奥付に「安永五歳丙申孟夏吉旦、書肆、京都、寺町通五条上ル町、梅村判兵衛、大坂、高麗橋筋壱町目、野村長兵衛」とあるように、これは野村・梅村両書肆の合刻本で、ふつう野梅堂版とよばれている。その後、おなじ板木をもちいて、野村と名倉の合刻による再版本、名倉と藤沢の合刻による三版本等が出版されたが、これらはいずれも半紙本五巻五冊であった。
その後さらに大阪の河内屋源七郎を版元とした美濃版三冊の本が出版され、文栄堂版とよばれたが、このほかにもまだ奥付に数軒の書肆をならべた本などがあり、これら美濃版三冊本はだいたい天保以後の出版と推定されている。
すなわち、「雨月物語」は初版以後、幕末ちかくまでに数版を重ねたのであり、そのかたちこそ半紙本五冊から美濃版本三冊にかわったが、すべて一つの板木を用いたものであった。
「雨月物語」の序文をみると、「明和戊子晩春。雨霽月朦朧之夜。窓下編成。以[#挿絵]梓氏。」とあって、この作品がいかにも明和五年(一七六八)三月に成立したように書かれている。明和五年というと作者秋成は数え年で三十五歳であり、明和五年から安永五年までには八年の歳月がある。従来の研究家は、この八年間を、推敲の時期――やや具体的にいうと、明和五年に雨月の草稿が書かれ、その後八年間、折をみて推敲に推敲をかさね、完成したのが安永五年であり、その完成したものがいま私たちのみる「雨月」である――と考えているが、明和五年に成立したということについては多分に疑問があり、その点に関して、私は「秋成文学の展開」(「国文学」第四巻第七号所収)のなかに所見を述べておいたから参照されたい。ここで結論だけをいえば、秋成が「雨月物語」を書いたのは、明和八年に火災で家をうしなってから以後のことと推測される。
「雨月物語」という書名が、どうしてつけられたか、またそれがなにを意味しているか、ということについては、いくつかの説がある。たとえば、作者みずから序文に「雨霽月朦朧之夜。窓下編成。以[#挿絵]梓氏。題曰雨月物語。云。」とあるのがその由来であるという説、また、西行をワキとする謡曲「雨月」にちなんで、冒頭に西行法師と崇徳院の亡霊の問答を構想した「白峯」をおいたことが、その題名のもとづくところであるという説、また中国の怪異談「剪灯新話」の「牡丹灯記」に、妖怪出現の時刻を「…