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国訳史記列伝
こくやくしきれつでん |
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作品ID | 51922 |
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副題 | 03 老荘申韓列伝第三 03 ろうそうしんかんれつでんだいさん |
著者 | 司馬 遷 Ⓦ |
翻訳者 | 箭内 亙 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「國譯漢文大成 經子史部第十五卷 史記列傳」 東洋文化協會 1955(昭和30)年5月30日 |
入力者 | はまなかひとし |
校正者 | みきた |
公開 / 更新 | 2022-02-10 / 2022-01-28 |
長さの目安 | 約 24 ページ(500字/頁で計算) |
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箭内亙による譯老子は楚の苦縣の[#挿絵]郷、曲仁里の人也。姓は李氏、名は耳、字は伯陽、諡を[#挿絵]と曰ふ。周の(一)守藏室の史也。孔子、周に適き、將に禮を老子に問はんとす。老子曰く、『子の言ふ所の者は其人と骨と皆已に朽ちたり、獨り其言在る耳。且つ君子は、其時を得れば則ち(二)駕し、其時を得ざれば則ち(三)蓬累して行る。吾之を聞く、良賈は(四)深く藏して・虚なるが若く、君子は盛徳ありて容貌愚なるが若しと。子の(五)驕氣と多欲と(六)態色と(七)淫志とを去れ。是れ皆子の身に益無し。吾が子に告ぐる所以は是の若き而已』と。孔子去つて弟子に謂つて曰く、『鳥は吾其の能く飛ぶを知り、魚は吾其の能く游ぐを知り、獸は吾其の能く走るを知る。走る者は以て(八)罔を爲す可く、游ぐ者は以て(九)綸[#「綸」の左に「ツリイト」のルビ]を爲す可く、飛ぶ者は以て(一〇)[#挿絵]を爲す可し。龍に至つては、吾其の風雲に乘じて天に上るを知ること能はず。吾今日老子を見るに、其れ猶ほ龍のごとき邪』と。
老子、(一一)道徳を修む、其學は自ら隱して名無きを以て務と爲せり。周に居ること之を久しうして、周の衰ふるを見、廼ち遂に去つて、(一二)關に至る。(一三)關令尹喜曰く、『子將に隱れんとす、彊ひて我が爲めに書を著はせ』と。是に於て老子廼ち書上下篇を著はし、道徳の意を言ふこと五千餘言にして去れり。其の終る所を知る莫し。或は曰く、『老莱子も亦楚人也、書十五篇を著はして道家の(一四)用を言ふ。孔子と時を同じうすと云ふ』と。蓋し老子は百有六十餘歳、或は言ふ二百餘歳と。其の道を修めて壽を養へるを以て也。孔子死してより後百二十九年にして、(一五)史記に『周の太史[#挿絵]、秦の獻公を見て、「始め秦、周と合して離れ、離れて五百歳にして復た合し、合して七十歳にして霸王たる者出でん」と曰ふ』とあり。或は曰く、『[#挿絵]は即ち老子なり』と。或は曰く、『非也』と。世、其の然るや否やを知る莫し。
老子は隱君子なり。老子の子、名は宗。宗、魏の將と爲り、段干に封ぜらる。宗の子は注。注の子は宮。宮の玄孫は假。假、漢の孝文帝に仕ふ。而して假の子解、膠西王[#挿絵]の(一六)太傅と爲る。因て齊に家せり。世の・老子を學ぶ者は則ち儒學を[#挿絵]け、儒學も亦老子を[#挿絵]く。『道、同じからざれば、相爲めに謀らず』とは、豈是を謂ふ邪。(一七)李耳は無爲にして自ら化す、清靜にして自ら正し。
莊子は(一八)蒙人也。名は周。周嘗て蒙の(一九)漆園の吏たり。梁の惠王・齊の宣王と時を同じうす。(二〇)其學は[#挿絵]はざる所無し。然れども其要は老子の言に本づき歸す。故に其著書十餘萬言、大抵率ね(二一)寓言也。(二二)漁父・盜跖・[#挿絵]篋を作り、以て孔子の徒を詆※[#「言+此」、U+8A3F、19-7]し、以て老子の(二三)術を明にせり。(二四…