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茗荷畠
みょうがばたけ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 21 岩野泡鳴・上司小劍・眞山青果・近松秋江集」 筑摩書房
1970(昭和45)年10月5日
初出「中央公論」1907(明治40)年11月
入力者伊藤時也
校正者荒木恵一
公開 / 更新2018-09-01 / 2018-08-28
長さの目安約 32 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 その前の晩、田住生が訪ねて来た。一昨年の暮に亡なつた湯村の弟、六郎の親友である。今度福岡大学へ行く途中とあつて立寄つた。此間の洪水で鉄道が不通ゆゑ神戸までは汽船にすると云ふ。白絣のあらい浴衣に、黒の帯、新しい滝縞の袴をシヤンと穿いて居た。お国風に衛さん衛さんと七つも違ふ湯村の名を呼んで居た。
「六郎さんが丈夫ですと、今年は一緒に大学へ来るんでした。一昨日の晩停車場でお母様が然う云つて泣かれました。」と、坐ると行也、その事を云出す。
「然うです。」と湯村は答へた。
「この人は矢張、二高出身で、六郎さんとも友達、東京の法科へ今度来たのです。」と云つて、一緒に来た小村と云ふ学生を紹介した。先きでは会つた事があると云ふが、湯村は飽くまで初対面に構へた。丁度、朝からムシヤクシヤして居る所ゆゑ、日比谷見物に行くと云ふ二人を無理に引留めてビールにした。トマトに鎌倉ハム、都焼の角鑵も切らせた。
 酒がやゝ荒んで来た頃、その小村は急に改つた調子で、「貴方に伺つたら解るでせう。全体ラブつてどんなものでせう。」と問ふ。好くある事で、大抵の人はこの問題を芸術家の所へ持込んで来る――何も芸術家のみに解せらるる問題と思つてる訳でもあるまいが。尚ほ云つて置くが、湯村衛はK―氏の門生で近頃世に知られた小説家である。今年三十になるが未だ独り者、妹夫婦を相手に暮して居る。
「恋は恋さ、何んだつてそんな事を聞くんです。」と湯村は痩せた肩を聳てた。
「然し、何か変つた御意見があるでせうと思ひまして。」
「別に無いね、或る男と或る女と二人集つて、従来より更に複雑な、そして美しさうな生活を見出さうと勉める時、他はこれを恋と云ひます。詰り勉めて見るだけでさ。」と投出すやうに云つて、オリエントの脂をペツと袖へ吐く。
「そんな単純なものでせうか。」
「単純も何も、恋は苦しく触れるべき事実、興味をもつて論ずる問題ぢやない。」
「でも、それだけぢや満足が出来ない。」と小村もツイ深入りした。
「満足出来ない?」と、小さいが光る目で見て、「一体そんな事を云つて、君は恋した経験があるのか。」と、湯村は食指で小村を指した。
 田住の方が却つて恐縮して、ヘツと頸をちゞめて友達の足の裏を些と突いた。
 小村は真面目に、「は、有ります、尤もあれが真の恋と云ふものか何か、そこは分りませんが。」と云ふ。
「何した、別れたらう。」
「え、別れました。」
「君は?」と今度は田住を指す。
「僕ア有りません。」と田住は袴に手を入れて堅くなつた。
「そして何故別れたんだ、小村君。」
「さ、両親の承諾しないのも理由の一つでした、それに。」と言終らぬ中から、
「憎いだらう、君、女が憎いだらう。」と、湯村は自分の言葉ばかりサツサと搬ぶ。
「いゝえ、別に憎いたア思ひません、事情を聞きましたもの。余儀ない訳なんです。」
 湯村は酔うた頭を前…

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