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寺田寅彦
てらだとらひこ |
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作品ID | 52124 |
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著者 | 和辻 哲郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「黄道」 角川書店 1965(昭和40)年9月15日 |
入力者 | 橋本泰平 |
校正者 | 小林繁雄 |
公開 / 更新 | 2011-01-08 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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(昭和十一年)
寺田さんは有名な物理学者であるが、その研究の特徴は、日常身辺にありふれた事柄、具体的現実として我々の周囲に手近に見られるような事実の中に、本当に研究すべき問題を見出した点にあるという。ところで日常身辺の事実が示しているのは単に物理学的現象のみではなく、化学的・生理学的・動植物学的等の諸現象の複雑な絡み合いである。
寺田さんはそういう現象のうちにも常に閑却された重大な問題を見出していった。が更にいっそう具体的な日常の現実は人間の現象である。ここでも寺田さんは人々があたり前として看過している現象の中に数々の不思議を見出し熱心にそれを探究している。
寺田さんの探究心にとってはそのいずれが特に重大だという訳ではなかった。つまり寺田さんは自然現象、文化現象のいっさいにわたる探究者であって、ただに物理学者であったのみではない。寺田さんの健筆はこの探究の記録なのである。
周知の通り、林檎が樹から落ちるのを不思議に感じて問題としたことが、近代物理学への重大貢献となった。あたり前の現象として人々が不思議がらない事柄のうちに不思議を見出すのが、法則発見の第一歩なのである。寺田さんは最も日常的な事柄のうちに無限に多くの不思議を見出した。我々は寺田さんの随筆を読むことにより寺田さんの目をもって身辺を見廻すことができる。そのとき我々の世界は実に不思議に充ちた世界になる。
夏の夕暮れ、ややほの暗くなるころに、月見草や烏瓜の花がはらはらと花びらを開くのは、我々の見なれていることである。しかしそれがいかに不思議な現象であるかは気づかないでいる。寺田さんはそれをはっきりと教えてくれる。あるいは鳶が空を舞いながら餌を探している。我々はその鳶がどうして餌を探し得るかを疑問としたことがない。寺田さんはそこにも問題の在り場所を教え、その解き方を暗示してくれる。そういう仕方で目の錯覚、物忌み、嗜虐性、喫煙欲というような事柄へも連れて行かれれば、また地図や映画や文芸などの深い意味をも教えられる。我々はそれほどの不思議、それほどの意味を持ったものに日常触れていながら、それを全然感得しないでいたのである。寺田さんはこの色盲、この不感症を療治してくれる。この療治を受けたものにとっては、日常身辺の世界が全然新しい光をもって輝き出すであろう。
この寺田さんから次のような言葉を聞くと、まことにもっともに思われるのである。
「西洋の学者の掘り散らした跡へ遙々遅ればせに鉱石のかけらを捜しに行くのもいいが、我々の脚元に埋もれてゐる宝を忘れてはならないと思ふ。」
寺田さんはその「我々の脚元に埋もれてゐる宝」を幾つか掘り出してくれた人である。