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穀神としての牛に関する民俗
こくしんとしてのうしにかんするみんぞく |
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作品ID | 52125 |
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著者 | 中山 太郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「タブーに挑む民俗学 中山太郎土俗学エッセイ集成」 河出書房新社 2007(平成19)年3月30日 |
初出 | 「神社協会雑誌 第三六巻一号」1937(昭和12)年 |
入力者 | しだひろし |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2012-05-25 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 12 ページ(500字/頁で計算) |
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牛を穀神とするは世界共通の信仰
牛を穀神として崇拝したのは、殆んど世界共通の信仰であるが、殊に印度、支那、我国において、その濃厚なるを認める。そして、我国の牛の初見は、日本書紀の一書に、天照大神が月夜見尊に勅して、葦原中国に保食神を訪ねさせし際に、保食神の無礼に接して、
月夜見尊忿然(中略)。廼ち剣を抜いて保食神を撃殺したまひき(中略)。是の後に天照大神復た天熊大人を遣して往いて看せたまふ。是の時に保食神実に已に死れり、唯し其の神の頂に牛馬化為れり云々(岩波文庫本)。
と記せるがそれである。そして、この神話からおよそ三つの民俗学的問題を抽出することが出来る。第一は穀神である保食神は、何故に殺されたのか。第二は保食神は、何故に女性に坐しませしか。第三は保食神の屍体から、牛馬が化生したとは、如何なる意味を有するかの点である。ここにはこの三つを押しくるめて概説する。
古代の民俗は、穀物を播種すると、繁茂し結実するのを、直ちに自分達の生死を類推して、これを穀物の生死と考えたのである。発芽とともに繁茂するのは生であって、結実とともに幹葉の枯れるのを死と信じたのである。加うるに我国にも天父地母の思想は顕然として存していた。即ち蒼天を父とし大地を母とし、総ての自然物は、この天父地母の交会作用によって生成すること、あたかも自分達の交会作用によって、子孫を生成するのと同一だと考えていた。それに古代民族にあっては、穀物その物が直ちに神であった。文化のやや進んだ民族は、穀物の豊凶は穀物を支配している神――即ち農業神の左右するものと考えるようになり、穀物と穀神とを区別するが、古代民族にはこの区別が出来なかった。従って穀物の幹茎を刈り取ることは、とりも直さず穀神を殺すことなのである。
地母の信仰の神格化されたのが保食神である。狩猟時代から農耕時代に入った頃の男子は、なお依然として山野に河海に、狩漁の仕事をつづけていた。それと同時にこの時代に有りがちな他部落との闘争には、是非とも男子の体力と智慮とに俟たねばならぬので、耕作機織の如き仕事は、当然女子の手で処理されたのである。かつ穀物の発芽結実を天父地母の生殖の作用と信じ穀神を女性と考えた時代にあっては、女子が農耕に従事するのは穀神の恩頼を蒙る所以としたのである。さらに女子は農耕以前から、野や山に出て副食物たる植物の芽や実を採集した伝統的の経験があるので、農事に親しむべき素養を充分に有していたのである。神代紀に雀を碓女とし、崇神朝に定めし貢に『男の弓端の調、女の手末の調』とあり、万葉集に『稲つけばかゝる吾が手を今宵もか、殿の和く子がとりてなげかむ』とあるのも、ともに古く女子が農耕者であったことを明白にしている。なお地母と穀神との関係は、詳細に記述すべきであるが、民俗学専門の雑誌ならぬ本誌では、万一の誤解を惧れ深く言うを避けた。
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