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蝸牛の角
かたつむりのつの
作品ID52178
著者和辻 哲郎
文字遣い新字新仮名
底本 「黄道」 角川書店
1965(昭和40)年9月15日
入力者橋本泰平
校正者小林繁雄
公開 / 更新2011-01-08 / 2014-09-21
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

(一) 芸術の検閲

(大正十一年十一月)
 ロダンの「接吻」が公開を禁止されたとき、大分いろいろな議論が起こった。がその議論の多くは、検閲官を芸術の評価者ででもあるように考えている点で、根本に見当違いがあったと思う。
 検閲官は芸術の解らない人であっても差支えない。彼の職務は或る作品がいかなる芸術的価値を持つかを定めることではなく、ただそれが公開される場合に公衆に対していかなる影響を及ぼすかを精確に判定し、その影響が社会の秩序を紊乱し善良な風俗を壊乱するようなものであった場合に、その公開を禁止することである。いかにすぐれた作品でも、もし実際に右のような影響を公衆に及ぼすとすれば、彼は当然その作品の公開を禁止してよい。彼に対してその作品の芸術的価値を説いて聞かせることはなんの意味をもなさない。たとい彼がその作品の芸術的価値を充分理解し得るようになったところで、公衆に対する作品の影響が依然として同一である限りは、彼はその禁止を解くことができない。
 そこで中心の問題は、公衆に対する作品の影響が、果たして精確に判定せられているか否かの問題である。
 芸術品は、もしそれが真に芸術品であり、また正当に芸術品として鑑賞されれば、いかなる場合にも社会の秩序を乱し風俗を壊乱するというような影響を与えるものでない。むしろ鑑賞者の生活を高め豊富にするということによって、間接に社会の秩序を高め風俗を善良にする。裸体の男女が相抱いている姿を描写した彫刻絵画も、それが芸術品でありまた芸術品として鑑賞される以上は、決して風俗を壊乱しない。しかし芸術品は必ずしもすべての人々から一様に芸術的な鑑賞を受けるものでない。例えば、優れた作品ほど正当な鑑賞を受けにくいということは、古来の偉大な作品が明らかに実証している。だから作品を公開する場合には、公衆の中の何割かが正当な芸術的鑑賞に堪えないものであることを許してかからねばならない。そこで、正当に鑑賞されない場合に、作品がいかなる影響を及ぼすかということが問題になる。作品の美しさ或いは意味が感じられず、そうしてそれが感じられない場合に他になんの魅力もないとすれば、公衆はその作品からなんの影響もうけず、またただちにそれを捨て去るであろう。がしかしその作品の本来の美しさを感じないでも、なおそこに或る魅力を感ずる場合、例えば題材に対して興味を覚える場合には、公衆はその作品から或る影響をうける。マダム・ボヴァリーを読んで姦通を煽動されるとか、ロダンの「接吻」を見て肉欲を刺戟されるとか、そういう場合はあるに相違ない。題材が恋愛、性欲等であり、その題材自身が不倫な恋や肉欲の興味をそそり得る場合には、確かに風俗壊乱という影響を公衆の或る者に及ぼし得る。だからこの種の影響をうける人間が多数に存在する以上、検閲官がその作品を禁止するのは当然である。がしかしそれは…

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