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母子像
ぼしぞう |
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作品ID | 52183 |
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著者 | 久生 十蘭 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「 久生十蘭短篇選」 岩波文庫、岩波書店 2009(平成21)年 5月15日 |
初出 | 「讀賣新聞」1954(昭和29)年3月26~28日 |
入力者 | 平川哲生 |
校正者 | 富田倫生 |
公開 / 更新 | 2010-12-23 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 16 ページ(500字/頁で計算) |
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進駐軍、厚木キャンプの近くにある、聖ジョセフ学院中学部の初年級の担任教諭が、受持の生徒のことで、地区の警察署から呼出しを受けた。
年配の司法主任が、知的な顔をした婦人警官を連れて調室に入ってきた。
「お呼びたてして、恐縮でした」と軽く会釈すると、事務机を挟んで教諭と向きあう椅子に掛けた。尾花が白い穂波をあげて揺れているのが、横手の窓から見えた。
「こちらは少年相談所の補導さん……この警察は開店早々で、少年係がおりません。臨時に応援にきてもらったので、事件を大きくしようというのではありませんから、ご心配のないように」
「司法主任のおっしゃるとおり、私どもは、たいした事件だと思っておりませんの。廃棄した掩体壕のなかに、生憎と進駐軍の器材が入っていた関係で、やかましいことをいっておりますが、器材といっても、旧海軍兵舎の廃木なんですから、ちょっと火をいじったぐらいのことで、放火のどうのと騒ぐのはおかしいですわ……ですから、理由はなんだっていいので、あそこでギャングの真似をしていたとか、キャンプ・ファイヤをやろうと思ったとか、書類の上で、筋が通っていればすむことなんですが、石みたいに黙りこんでいるので、計らいようがなくて、困っておりますの」
「私のほうでも、これ以上とめておきたくないのですが、書類が完結しないので、返すわけにいかない……先生はクラスの担任で、本人の幼年時代のことも知っていられるそうですから、家庭関係と向性の概略をうかがって、それを参考にして適当な理由をこしらえてしまおうというので……」
「いろいろとご配慮をいただきまして、ありがとうございました」
教諭が丁寧に頭をさげた。
「では、さっそくですが」。婦人警官が机の上の書類をひきよせた。
「和泉太郎、十六年二ヵ月、出生地はサイパン島……聖ジョセフ学院中学部一年B組、アダムス育英資金給費生……父はサイパン支庁の気象技師で、昭和十五年の死亡。母は南洋興発会社の内務勤務。戦災による認定死亡、となっております……本人のほうですが、十六年二ヵ月で、中学一年というのは、どういうわけなのでしょう。学齢にくらべて、だいぶ進級が遅れているようですが」
「あの子供は、終戦の年の十月に、戦災孤児といっしょにハワイに移されて、ホノルルの有志の後援で、八年制のグレード・スクール……日本の小学校にあたる学校に六年いて、今年、二十七年の春、学院の中学部に転入してきました。学齢からいえば、三年級に入れるところですが、日本語の教程が足りないものですから」
「アダムス育英資金というのは」
「資金というようなものではありませんが、便宜上、そういった名称をつけているので……アダムスというのは、ハワイ生れの二世の情報将校で、サイパンで戦災孤児の世話をしていましたが、将来、神学部へ進むという条件で、五人ばかりの孤児に、ひきつづいて学費を支給し…