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雑器の美
ざっきのび
作品ID52188
著者柳 宗悦
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻71 食器」 作品社
1997(平成9)年1月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2012-01-01 / 2014-09-16
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 無学ではあり貧しくはあるけれども、彼は篤信な平信徒だ。なぜ信じ、何を信ずるかをさへ、充分に言ひ現せない。併しその素朴な言葉の中に、驚くべき彼の体験が閃いてゐる。手には之とて持物はない。だが信仰の真髄だけは握り得てゐるのだ。彼が捕へずとも神が彼に握らせてゐる。それ故彼には動かない力がある。
 私は同じやうなことを、今眺めてゐる一枚の皿に就いても云ふことが出来る。それは貧しい「下手」と蔑まれる品物に過ぎない。奢る風情もなく、華やかな化粧もない。作る者も何を作るか、どうして出来るか、詳しくは知らないのだ。信徒が名号を口ぐせに何度も唱へるやうに、彼は何度も何度も同じ轆轤の上で同じ形を廻してゐるのだ。さうして同じ模様を描き、同じ釉掛けを繰返してゐる。美が何であるか、窯芸とは何か。どうして彼にそんなことを知る智慧があらう。だが凡てを知らずとも、彼の手は速やかに動いてゐる。名号は既に人の声ではなく仏の声だと云はれてゐるが、陶工の手も既に彼の手ではなく、自然の手だと云ひ得るであらう。彼が美を工夫せずとも、自然が美を守つてくれる。彼は何も打ち忘れてゐるのだ。無心な帰依から信仰が出てくるやうに、自から器には美が湧いてくるのだ。私は厭かずその皿を眺め眺める。



 雑器の美など云へば、如何にも奇を衒ふ者のやうにとられるかも知れぬ。又は何か反動としてそんなことを称へるやうにも取られよう。だが思ひ誤られ易い聯想を除くために、私は最初幾つかの注意を添へておかねばならない。ここに雑器とはもとより一般の民衆が用ゐる雑具の謂である。誰もが使ふ日常の器具であるから或は之を民具と呼んでもよい。ごく普通なもの、誰も買ひ誰も手に触れる日々の用具である。払う金子とても僅かである。それも何時何処に於ても、た易く求め得る品々である。「手廻りのもの」とか「不断遣ひ」とか、「勝手道具」とか呼ばれるものを指すのである。床に飾られ室を彩るためのものではなく、台所に置かれ居間に散らばる諸道具である。或は皿、或は盆、或は箪笥、或は衣類、それも多くは家内づかひのもの。悉くが日々の生活に必要なものばかりである。何も珍しいものではない。誰とてもそれ等のものを知りぬいてゐる。



 併し不思議である。一生のうち一番多く眼に触れるものであり乍ら、その存在は注視されることなくして過ぎた。誰も粗末なものとのみ思ふからであらう。宛ら美しきものが彼等の中に何一つないかのやうにさへ見える。語るべき歴史家でさへ、それを歴史に語らうとは試みない。併し人々の足許から彼等の知りぬいてゐるものを改めて取上げよう。私は新しい美の一章が今日から歴史に増補せられることを疑はない。人々は不思議がるであらうが、その光は訝りの雲をいち早く消すであらう。
 併しなぜかくも長くその美が見捨てられたか。花園に居慣れる者はその香りを知らないと云はれる…

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