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南京六月祭
なんきんろくがつさい
作品ID52218
著者犬養 健
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 62 牧野信一 稻垣足穗 十一谷義三郎 犬養健 中河與一 今東光集」 筑摩書房
1973(昭和48)年4月24日
初出「文芸春秋」1928(昭和3)年10月
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2021-08-28 / 2021-07-27
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ひどく東邦風なジャンクを模様にした切手を四枚も貼つて――北京から私のところへ小包が来た。差出人は満鉄公処秘書課塩崎龍夫、塩崎は私の旧友なのだ。副業ともいふべき支那語がうまいので、それに支那の生活が味はひたさに満鉄に入つて、副社長付の通訳をしてゐるのだ。
 それは兎も角として、包みをほどくと箱のなかから紫に染めあげた支那絹の袱紗が出て来た。さう云へば塩崎の長男が生れた時に心ばかりの祝ひ物を贈つた、その返礼なのだらう。しかし、私の云ひたいのはその袱紗の模様の大変風がはりだといふ事である。

寿

 と白く抜いてあるのは先づ袱紗として当り前だが、変つてゐるといふ訳はその寿の字が酔筆とでも云ひたいほどに書きなぐつた楽書き風のもので、しかし書き手は気のせゐか凡でない。それから、布をすつかり拡げて見ると墨竹があしらつてある。が、これは寿の字以上に一気呵成で、ほとんど怒つて描いたやうな勢である。それで全体の感じから云へばどこかしどろもどろで、書きそくなひの趣なのだ。しかし私には、こんな風のものを袱紗に仕立てて人に配るやうな事をする塩崎の凝り性が面白かつた。
「内祝までにこちらの日本店で十枚ほど作らせて見た。布はわるいが模様を見て貰ひたい。絵も字も曾鉄誠といふ爺さんの描いたものだ。これにはちよつと奇談もある。好事家の君には一寸向いてゐる。いづれ暇のをりにくはしく――」
 名刺に書き添へてあるのはこんな事なのだ。
 ところがその後、張大元帥の交通部と満鉄との間に例のむつかしい問題が起つて、従つて塩崎は通訳に忙しいと見えて、内地に小さくつつましく――仕方がなしに小さくつゝましく暮してゐる私の好事癖を満足させるなぞといふ小問題は黙殺してしまつた。何しろ平穏無事な学芸欄の記者では黙殺されても仕方がないのだ。
 しかしその私にもいゝ日はあつた。私は急にヘルメットや日除け眼鏡を買つた。母親から護符を貰つた。合歓の花ざかりを夢想したり銀相場を調べたりした。といふのは、丁度国民革命軍が山東一帯までのぼつて来たあの頃に、うまく社の北京特派員にして貰へたのである。社会部長は私にこんな事を云つた。君は随筆風の筆がたつね。その筆でもつて争乱の北京見聞記を書くのだ。北京ぢゆうをまめに歩くのだよ。雰囲気をつかむのだよ。出発までに調査部でもつて、必要なあらゆる智識を復習して行きたまへ。――そこで、私は青年記者でなくては持ち得ない情熱を持つた。何よりも先づ塩崎に電報を打つた。……

 黄ろい海。蘆荻。埠頭。――柳の街道。高粱畑。夕日。古城壁。――最後に私は巡警の物々しい北京前門停車場で、苦力の人力車に包囲されてしまつた。が、塩崎の官舎をその車夫のひとりが、小蘇州胡同といふ名の並木の暗い住宅町に見つけ出してくれた。実を云ふと停車場の物々しい検閲にくらべて、もうぢきに過去の首都にもならうといふ城内の気のぬけ…

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