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愚かな父
おろかなちち
作品ID52221
著者犬養 健
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 62 牧野信一 稻垣足穗 十一谷義三郎 犬養健 中河與一 今東光集」 筑摩書房
1973(昭和48)年4月24日
初出「新小説」1923(大正12)年1月
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2019-08-28 / 2019-07-30
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 月のいゝ晩がつゞく。月がいゝとわたしは団扇を持つて縁先に出る。こんなわたしにしろ、また隣の二階家の四角な影の二尺ばかり上に照る月にしろ、月を見れば空想ぐらゐはする。わたしはきつと娘の事を考へる。
 許嫁の男の両親のもとに家事見習に行つてゐるその娘から、このところ一寸便が来ない。このわたしを忘れて、目新らしい生活に夢中になつてゐるのかしらん。それならばまあいゝのだが、先日「今年の夏も」と男の子どもにせびられるに任せて、大磯で法外な値をつけられた貸別荘をどうやら借りた。其処へ若い二人も呼んで、賑やかな、わたしの心の保養になる夏を過さうと計画むで、此の間娘にその由を知らせてやつたのだが、何の音沙汰もない。先方の青木家で、わたしの遣り口を出過ぎてゐるとでも思つてゐるのではないか。万事質素な家なのだから。そして娘まで一所にさう思つてゐるのではないか。
 わたしはどうも青木の家、殊にあの鷹雄といふ、聟になる筈の若者に対しては、つい神経過敏になつてしまふ。それはこの婚約が、わたしが最初不承知で、それからイヤ/\納得したものであるからだ。この婚約がわたしの昔の空想――娘の秋子がまだやつと小学校に行く頃から空想したやうな結婚とは、まるで違つたものとなつて現はれたものであるからだ。
 それはわたしも金持をめがけて娘をやらうとはしてゐなかつた。しかし今度の場合のやうに或る若い男が娘を見初めて、それを自身の両親に打明けて、さて話の第一歩が当方に向けられたといふやうな成立の婚約は、どうもわたしのやうな昔者の胸には納まらぬのだ。あくまでキチンとした婚約でなくては、子供達を残して死んだ妻にも済まぬやうな気がするのだ。だがわたしも人の父親だ。娘も気がすゝんでゐるのを知つては、気もくじけて万事承知した。そして仲人には先方の父親にもわたしにも等しく恩人である、市ヶ谷の先生御夫婦が立つて下さるといふのである。わたしは名誉に感じた。先生のお宅ですべて話がまとまつた時、わたしは人前で涙もこぼした。
 が、それから後、わたしは自分の胸に父親として大切に残しておいた最後の楽しみが、それも無残にこはされた事を知つたのだ。それは鷹雄といふ若者が、話にも聞いてゐたがそれ以上の文学者流の神経質で、「俗物」のわたしを見下してゐるのを、この眼で見知つたことだつた。初対面の挨拶の時、わたしの義理の子ともならう筈の若者は、いかにもムツツリと構へてゐて、ひと通りの礼儀としての挨拶も碌々せぬのだ。わたしは自分が最初この縁組に不承知だつた事を先方で知つてゐる、その互ひの工合わるさ――かういふ目出度い席には禁物の工合わるさをどうかして水に流さうと、自分よりも四十も若い男に向つて、いろ/\と愛想を述べたのだが、あまりのムツツリした不作法に、世馴れたわたしでさへ取り附く島がなかつた。わたしが何かの話の工合で、先方の父親に兜…

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