えあ草紙・青空図書館 - 作品カード
楽天Kobo表紙検索
生体構成物質の動的状態
せいたいこうせいぶっしつのどうてきじょうたい |
|
作品ID | 52232 |
---|---|
原題 | THE DYNAMIC STATE OF BODY CONSTITUENTS |
著者 | シェーンハイマー ルドルフ Ⓦ |
翻訳者 | 水上 茂樹 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
入力者 | |
校正者 | The Creative CAT |
公開 / 更新 | 2010-11-04 / 2019-07-21 |
長さの目安 | 約 112 ページ(500字/頁で計算) |
広告
広告
編集者まえおき
ルードルフ・シェーンハイマーはベルリンに生まれそこで初期の教育および大学訓練を受けた。1922年にベルリン大学から医学の学位を受けた後でこの市のモアビット病院において1年のあいだ病理学レシデントの地位を得た。そこで彼はアテローム性動脈硬化の問題にひきつけられ、実験動物にコレステロールを与えて動脈硬化を起こすことについてこの時期に始まる最初の論文を出版した。生化学のもっと広い知識が必要であることを感じてライプツィヒのカール・トマスのもとで3年のあいだ研究し1926年の始めにこの実験室からペプチド合成の巧みな方法について出版した。これらの補助的な訓練のあいだにシェーンハイマーはロックフェラー財団からのフェロウシップを受けた。
次にフライブルク大学の病理学研究所に移り化学者としてルードウィッヒ・アショッフのスタッフに加わった。アショッフはシェーンハイマーの科学的発展に強い影響を与えた。ここで彼は病理材料を研究する任務と並行してステロールの生化学的研究を行った。1927年に彼はその部門の副主任になり1930年には正式の主任になった。この期間に彼の研究は主としてコレステロール代謝に関係するものであり1930年にアメリカに来てダグラス・スミス・フェロウとしてシカゴ大学外科学講座に居た1年のあいだにも続けた。1931年にフライブルクに戻りジョシア・メイシー・Jr財団の補助によって研究を続けたがこれは1933年春のドイツ政治情勢(*ナチス政権の成立)によって残酷にも中断された。フライブルクの実験室で完成した最後の研究はジャーナル・オヴ・バイオロジカル・ケミストリーに報告された。コレステロールが正常な哺乳類において絶えず大量に合成され組織で分解されるという重要な観察がここに確立された。
コロンビア大学の生化学講座は幸福なことにシェーンハイマーのその後の研究に便宜を提供することができた。この研究室から彼が出版した最初の報告は腸管内にセチルアルコールの存在を記録するものであり、脂肪酸中間代謝についての彼のその後の研究に特別な意味をもっていた。W・M・スペリーとの協同研究によって彼は微量の遊離型および結合型のコレステロールの精密測定の価値ある方法を開発し、この技術を血清および血漿の比較研究に応用した。
1934年にシェーンハイマーは後になって彼の仕事の本質に基本的な影響を与えることになった新しい接触を行った。ユーリーが1932年に発見した重水素を生物学的研究の発展に利用するためにロックフェラー財団は重水素技術の訓練を受けた化学者がその特殊な知識を生化学などの関連問題に応用するための基金を設定した。この援助によってデイヴィッド・リッテンバーグはユーリーのグループからシェーンハイマーが1年のあいだ研究してきた実験室に来ることになった。有機化合物を安定同位元素で…