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地異印象記
ちいいんしょうき
作品ID52233
著者和辻 哲郎
文字遣い新字新仮名
底本 「黄道」 角川書店
1965(昭和40)年9月15日
入力者橋本泰平
校正者小林繁雄
公開 / 更新2013-05-31 / 2014-09-16
長さの目安約 39 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

(大正十二年九月)



 大正十二年ごろ関東地方に大地震がある、ということをある権威ある地震学者が予言したと仮定する。その場合今度のような大災害は避けられたであろうか。大本教は二、三年前大地震を予言して幾分我々を不安に陥れたが、地震に対する防備に着手させるだけの力はなかった。しかしそれは大本教が我々を承服せしめるだけの根拠を示さなかったからである。もし学者が在来の大地震の統計や地震帯の研究によって大地震の近いことを説いたならば、人々はあらかじめあの震害と火災とに備えはしなかったであろうか。
 自分は思う、人々は恐らくこの予言にも動かされなかったろうと。なぜなら人間は自分の欲せぬことを信じたがらぬものだからである。死は人間の避くべからざる運命だと承知しながらも我々の多くは死が自分に縁遠いものであるかのような気持ちで日々の生を送り、ある日死に面して愕然と驚くまでは死に備えるということをしない。それと同じように、百年に一度というふうな異変に対しては、人々はできるだけそれを考えまいとする態度をとる。在来の地震から帰納せられた学説は、この種の信じたがらぬものを信じさせるほどの力は持たない。結局学者の予言も大本教の予言と同様に取り扱われたであろう。
 もし人間が学者の予言をきいてただちに耐震耐火建築への改築や防火帯の設置に、――あるいは少なくとも火急の際即座に動員し得る義勇消防隊の組織に、取りかかるほど先見の明のあるものならば、そもそもすでに初めからこの種の予言や応急的な設備を必要としなかったはずである。安政の大地震は今なお古老の口から、あるいは当時の錦絵から、あるいはその他の記録から、我々の耳に新しい。東京が地震地帯にある危険な土地だということはすでに古くより知られたことである。水道を建設するとき、すでにこの水道が地震による大火に対して効力なきものであることは反省されていなければならなかった。日清戦争後、特に日露戦争後、急激に東京が膨脹し始めたとき、この木造建築の無制限な増加が大火に対していかに危険であるかはすでに顧慮さるべきはずであった。一言にして言えば、地震の予言に耳を傾けるほど人間が聡明であったならば、大火に対してなんの防備もない厖大な都市を恬然として築造して行くほどの愚は、決してしなかったであろう。
 いよいよ事が起こった後に顧みてみれば、要するに人間は愚かなものである。そうしてその愚かさは単に防火設備をしなかったという一事に留まるのでない。いっさいの合理的設備が間に合わないほど迅速に、また合理的設備を忘れるほど性急に、大都会が膨脹して行ったことそれ自身が、愚なのである。我々は大都会が文明社会の腫物だという言葉を想起せざるを得ない。最近の東京は確かに日本人の弱所欠点が凝って一団となったものであった。そこからいっさいの悪臭ある流風が素朴質実なる地方に伝染した…

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