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悪僧
あくそう
作品ID52250
著者田中 貢太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」 国書刊行会
1995(平成7)年8月2日
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-06-16 / 2014-09-16
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 何時の比のことであったか朝鮮の王城から南に当る村に鄭と云う老宰相が住んでいた。その宰相の家には宣揚と云う独り児の秀才があったが、それが十八歳になると父の宰相は、同族の両班の家から一人の女を見つけて来てそれを我が児の嫁にした。
 宣揚の夫人となった女は花のような姿をしていた。宣揚は従来にない幸福を感じて、夫人を傍からはなさなかったが、朝鮮の風習として結婚した両班の子弟は、すぐ山寺へ往って独居生活を始め、科挙に応ずることのできるように学問文章を修めることになっているので、宣揚もしかたなく夫人を家に残して山寺へ往った。
 そして、山寺の一室に行李を解いた宣揚は、遠く本堂の方から漏れて来る勤行の声に心を澄まし、松吹く風に耳を洗うて読書三昧に入ろうとしたが、夫人の唇や頬が文字の上に見えて読書する気になれなかった。しかし、山をくだって夫人の処へ帰って往くと云うことは、父母をはじめ世間の手前もあるのでさすがにそれはしなかったが、そのかわりに壮い和尚に頼んで手紙を夫人の許へ送り、その返書を得て朝晩にそれを読みながら、僅かに恋恋の情を慰めていた。
 宣揚が山へ登ったのは晩春の比であった。そして、暑い夏を送って秋になると、夫人に逢いたくなって起ってもいてもいられなくなったので、父母を省すると云う名目をこしらえて某日山をおりた。
 山の中程には大きな巌石が屏風を立てたように聳えた処があった。宣揚はそこまでおりて来ると疲労れて苦しくなって来たので、路ぶちの巌に腰をかけて休んでいた。空には白い雲が飛んで荒っぽい秋風が路の下の方の林に音を立てて吹いていた。宣揚は手巾で襟元ににじみ出た汗を拭いながら、今日帰って往く己を夫人がどんな顔をして迎えるだろうと思ってその喜んだ顔を想像していた。黒い瞳と朱い唇が眼の前にあった。と、背後の方でものの気配がして、宣揚が不審して振返ろうとする間もなく、彼の頭は黒い撃痛を感じて横に倒れた。倒れながら彼の顔は血に染まった。太い棒を手にした壮い和尚が意識を失いかけた彼の眼に映った。

 黄金の金具を打った轎が町の四辻を南の方へ曲って往った。轎の背後にはお供の少女が歩いていた。それは麗な春の夕方で、夕陽の中に暖かな微風が吹いていた。慕華館で終日日課の弓を引いていた李張と云う武科志願の秀才は、このとき弓と矢を肩にして己の家へ帰っていたが、きれいな轎が来るので見るともなしに眼をあげた。と、小さな旋風が起ってそれが薄すりと塵を巻きながら、轎夫の頭の上に巻きあがって青い簾の垂を横に吹いた。簾は鳥の飛びたつようにひらひらとあがった。艶麗な顔をした夫人が坐っていた。李張は女の美にうたれた。この[#挿絵]な女はどんな秀才の夫人であろう、と、思いながら立ちどまってその轎を見送っていたが、その足は何時の間にか轎の往く方へ動きだした。
 金粉をまき散らしたような西の空に紅い陽がど…

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