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馬の顔
うまのかお
作品ID52252
著者田中 貢太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「日本怪談大全 第一巻 女怪の館」 国書刊行会
1995(平成7)年7月10日
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-05-02 / 2014-09-16
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 暗い中から驟雨のような初夏の雨が吹きあげるように降っていた。道夫は傾斜の急な径を日和下駄を穿いた足端でさぐりさぐりおりて往った。街燈一つないその路は曲りくねっているので、一歩あやまれば転がって尻端折にしている単衣を赭土だらけにするか、根笹や青薄に交って漆の木などの生えた藪畳の中へ落ちて茨に手足を傷つけられるかであった。そこは――学校の傍から――町へおりる捷径であった。普通に――町へ往くには学校の崖下になった広い街路を往くのであるが、それではひどく迂路になるので、彼は平生のようにその捷径を選んだのであった。
 道夫はその日友人の下宿へ往って二人で酒を飲んでいた。彼は画家であった。彼は友人の処でウイスキーとビールをごっちゃに飲んで腹の中がだらけたようになっているので、熱い日本酒を飲みたいと思ったが、杖頭がないのでしかたなしに通りすがりのカフェーやおでんやの燈に心を牽かれながら帰っているところであった。
 十一時はとうに過ぎていた。小さくなっていた雨がまた音をたてて降って来た。道夫は立ちすくみながら坂の下へ眼をやった。坂の下は黒暗暗として何も見えなかった。生垣があり[#挿絵]駝師の植木があって、人家は稠密と云うほどでもないが、それでもかなり人家があるので、燈の一つも見えないと云うはずがなかった。
(おかしいぞ)
 しかし、道夫はそんなことよりも早く下宿へ帰って、寝ぼけている婢にはかまわず、台所から酒を持って来て己で燗をして飲みたかった。
 雨はすぐ通りすぎた。彼はまたおりた。青い刻煙草の吸殻のような光があった。それは根笹の葉裏に笹の葉の繊維をはっきり見せていた。
(おや)
 それは蛍か何かであろう。彼は嘗て支那の随筆の中で読んだことのある蛍に関する怪奇な譚を思いだした。それは夏の夕一人の秀才が庭の縁台の上で寝ていると、数多の蛍が来て股のあたりへ集まっていた。秀才がそれを見て冗談を云うと、蛍火が消えて美しい女が出て来たので、それを愛好したと云う話であった。
(どうだい、君も美人にならないか)
 そのひょうしに足がすべってずらずらとずり落ちた。彼は落ちながら前のめりになろうとする体をやっと支えて立ちなおった。立ちなおって気をつけてみると坂路をおりつくしていた。
(おや、おりたのか、美人のことを考えてたから、うまく一息におりられたぞ)
 道夫は気もちがよかった。彼は体を真直にして歩いた。傘が何かにひっかかってざらざらと音をたてた。
(垣根にひっかかったのか)
 雨は小降りになっていた。傘の右にも左にも、ろそう桑のような大きな葉をつけた木の枝があった。傘はその枝葉に支えられていた。両側に桑の枝葉があるなら桑の畑でなくてはならなかった。
(桑の畑があったかなあ)
 終始その捷径を往来している道夫は、そこに桑畑のあることは知らなかった。
([#挿絵]駝師の庭ではないか)
 …

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