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女の首
おんなのくび |
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作品ID | 52282 |
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著者 | 田中 貢太郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「日本怪談大全 第一巻 女怪の館」 国書刊行会 1995(平成7)年7月10日 |
入力者 | 川山隆 |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2012-05-07 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 11 ページ(500字/頁で計算) |
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新吉は公園の活動写真館の前を歩きながら、今のさき点いたばかりの白昼のような電燈の光に浮き出て見える群集の顔をじろじろ見ていたが、思い出したようにその眼を活動写真館の看板絵にやった。しかし、それは色彩の濃い絵を見るためではなかった。彼はまたむこうの方へ真直にずんずんと歩きだした。しかし、それに目的があるためでもなかった。
新吉はまた元のように擦れ違う人の顔をじろじろ見だした。束髪の顔、円髷の顔、銀杏返の顔、新吉の眼に映るものは女の顔ばかりであった。彼はその顔の中にどこかにおずおずした物おびえのある顔を注意していた。
石を敷いた路の右側には白いアセチリン瓦斯の燈があって、茹卵や落花生を売る露店が見えていた。瓦斯の燈はその露店の後に垂れた柳の枝の嫩葉にかかっていた。
新吉の眼はその柳の嫩葉にちらちらと動いて往ったが、それには何の意味もなかった。
「おい新さん、好い儲口でもあるかい」
ひやかすように云って笑声をする者があった。それは茶の中折を着た小柄な男であった。
「さんちゃんか、お前じゃあるまいし、儲口なんか捜して歩くものかい」
新吉は笑って見せた。
「いけねえ、いけねえ、そんなことを云ったって、ちゃんと種があがってるのだ、これはどうだい」
小柄な男は右の手を握ってから人さし指ばかりを開き、それを己の鼻端に触るように持って往ったが、それは非常にすばしこいやり方であった。
「痴、お前だって、これじゃないか」
新吉は右の指端を右の眼の傍へ持って往って、人さし指で目頭をちょとおさえた。
「痴」
「だって、旦那がそう云ってたぜ」
「へッ、痴にするない、御人体がちがってらあ」
「その御人体でせっせと捜すが好いや」
「お前も捜しな」
二人は笑い笑い擦れ違って歩いた。新吉はそうして仲間と別れながら、己の挙動を背後から見られているように思ったので、三足ぐらい歩いてふり返った。茶の中折は池の傍にある交番の前を歩いていた。新吉は安心してまた人をじろじろと見ながら歩いた。歩きながら彼奴は俺以上の悪党の癖に、巫山戯たことを云やがると思った。彼はちょと舌うちした。
新吉の眼前をいろいろの女が掠めて往った。彼はその中からおずおずした物おびえのある顔を見逃すまいとした。人をくったような年増女の顔、すました女学生の顔、子供を負ったどっかにきかぬ気の見えるお媽さんのような顔ばかりで、彼の望んでいる顔は見当らなかった。
それは風の無い暖な晩であった。新吉はふと山の中のベンチのことを思いだした。こんな晩には山の中が好いかも判らないと思って池の方へ眼をやった。藤棚のさがった小さな橋の欄干がすぐそこにあった。新吉はその方へ折れた。
藤棚には藤の花房がさがって、その花が微暗い燈を受けて白く見えていた。両側の欄干には二三人ずつの人が背をもたせるようにして立ちながら、鼻の端を通って往く人…