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ある親子の問答(一幕)
あるおやこのもんどう(ひとまく)
作品ID52303
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集3」 岩波書店
1990(平成2)年5月8日
初出「週刊朝日 第十三巻第三号」1928(昭和3)年1月8日
入力者kompass
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-02-10 / 2014-09-16
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

山上のホテル――食堂のベランダ、夏のをはり――午後九時頃。
テーブルに、青年とその母が向ひ合つてゐる。

青年  もうおやすみになつたら如何です。だいぶん冷えて来ました。
母  こんなに晴れた空を見るのは久しぶりだね。――寝るのが惜しいやうだ。
青年  僕は少し考へごとがあるんですから、しばらく一人きりにして下さい。――お部屋からでも空は見えるでせう。
母  そんなにいつまでも空を見てゐる気はないよ。寝るのは惜しいといつたのは、かうしてお前と二人きりでゐるのも、さう長いことぢやないと思つたからさ。
青年  さういふことをおつしやるもんぢやありません。――お母さんが、いつも不用意に口になさるお言葉を、僕は繰返し繰返し考へるんですよ。さうすると、始めは意味のない言葉が、僕の頭の中で、だんだん大きな意味をもち出すんです。何時かも、お母さんは、僕の目が死んだお父さんの目に似て来たつておつしやつたでせう。なるほど、それはさうかも知れません。子が親に似るのは当り前ですもの。だからつて、それを故さら、不思議なことのやうにおつしやる必要はないでせう。僕は、なんのために、お母さんがさういふやうなことを口に出しておつしやるのか、わからなかつたんです。考へれば考へるほどわからなくなります。しかし、たうとう、それに理窟をつけてしまふんです。さうすると安心ができるかといへば、それはさうでなく、その時から、僕の心の底に、なんだか重いもの――例へば大きな不安の塊のやうなものができるんです。
母  お前はなんでもないことをむつかしく考へるからいけないの。
青年  なんでもないことですか、それが……?

長い沈黙。

母  母さんのやうに無学な女は、いくら考へたつて立派な考へは浮ばないよ。その代り思つたことを、そのまま口に出していふだけ、罪がないとはいへないかね。自分だけで考へてゐることは、どうかすると恐ろしいことがあるよ。
青年  さういふことは、なはさら黙つてゐて下さい。僕はもう、お母さんが何もおつしやらなくても、すつかり思つてらつしやることがわかります。
母  お前が小さい時、母さんもさう思つてゐた。――お前の考へてゐることは、すつかりわかつてゐると思つてゐた。
青年  ほんの僅かな間だけね。泣くことと笑ふことしか知らない間だけね。
母  今だつて、お前の悲しみだけは、わかるつもりでゐる。――わからなければならないと思つてゐる。
青年  自惚れはおよしなさい。
母  お前は、だんだん母さんを信用しなくなるね。母さんは、もうお前に用のない人間かしら……。
青年  残念ながら、用はありませんね。だから大事ぢやないとはいへません。つまり、お母さんがして下さることは、みんな僕ひとりで出来ることなんです。以前は、僕がお母さんの一部だつたんです。それが今は、お母さんが僕の一部なんです。
母  さう…

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