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親方コブセ
おやかたコブセ
作品ID52313
著者金 史良
文字遣い新字新仮名
底本 「光の中に 金史良作品集」 講談社文芸文庫、講談社
1999(平成11)年4月10日
初出「新潮 通卷四百四十四號(一月號)」新潮社、1942(昭和17)年1942(昭和17)年1月1日
入力者坂本真一
校正者富田晶子
公開 / 更新2020-03-03 / 2020-02-25
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 X市在住土工達の親方コブセの噂はかねがね耳にはさんでいたが、私がじかに彼と会ったのは、金鵄がまだ九銭から十銭になる直前だから、ついこの間のことである。それは同市の会社に勤めているO君から、「来る日曜はこの港市八千余の虫やイスラム教徒達の運動会である。万障繰合せ一度御来参の程を……」云々と誘って来たので、「ではこの虫も是非参加させて頂き度く」云々と返事を出して、勇躍出向いて行った時のことだった。虫やイスラム教徒達というのは、私が以前に芝浦飯場界隈の或る奇妙な老人を小説に書いた際、そういうたとえ方をしたのを思い出し、O君が面白半分そう書いて来たまでのことで、云うまでもなくわが朝鮮移住民達のことを指している。
 さてその日X市に着いたのが、約束より一時間余も遅れたため、ついにO君と駅で会えず、仕方なく私はバスで彼の住んでいる××町二丁目へ出掛けた。とはいえ、下りたとたんに少々間誤ついてしまった。何故ならそこは荒波打ち騒ぐ埋立ての水際で、例の如くわがイスラム教徒達の掘立小屋やトタン囲いの小屋がごてごてと埋まっていたが、O君は大学も出た人の筈、この部落の住人ではなさそうであるから。部落前あたりの路傍で子供達が縄飛びをし、朝鮮服の下に下駄をつっかけた婦達が路地の中をうろうろ動き廻っていた。暫し佇んだ挙句、彼女達にでも訊いてみようと足を運び出した時、急に後の方で何やら大きな喧嘩声が上った。驚いて振り返ってみると、煙草屋の中で四十男の主人と一人の小男が盛んに罵り合いをしている。どうしたのだろうと不審に思ったが、一つここで煙草も買うついでにO君の家も訊いてやれと、のこのこはいって行った。しかし足を踏み入れるなり、私はおやおやと思った。お客は私の背丈の丁度半分位しかない佝僂男で、大きな背瘤を揺り蠢かしながら引掻かんばかりの権幕で主人に喰ってかかっているが、それが一見して親方コブセに相違ないと思われたからである。コブセというのは朝鮮語での佝僂のことで、噂に聞いていた通り年も二十八九そこらのようだし、声だって噂にたがわず薄気味悪い程底力のこもっただみ声だった。
「やい、手前が課長だろうが、部長だろうが、班長だろうが、こちとら知ったことかえ! 一体手前の商売は何だちゅうんだよ?」
「煙草屋だ」と、主人はコブセの振り浴びせる手を避けようと、しきりに身を反らしながら唸った。
「へへ、この野郎、今度は正直に出たな。貴様が煙草屋なら、こちとらはお客だぞ。ええか、この馬の骨奴! 貴様んとこじゃ、いつもお釣りは人の掌にはじくようにぽいと落すそうじゃが、おう、ほんとかえ?」
「何なのよ、どうしたのよ」と、その時奥の方から綺麗な娘さんが白い歯を見せてにこにこ笑いながら出て来た。
 親方コブセはちらっと面を火照らしたようだが、急に懐手をして胸を反らした。
「へん、お前だな。釣銭をぽいとはじくように落…

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