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想い出
おもいで
作品ID52317
著者古川 緑波
文字遣い新字新仮名
底本 「ロッパの悲食記」 ちくま文庫、筑摩書房
1995(平成7)年8月24日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-01-10 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 よき日、よき頃のはなしである。
 フランスの汽船会社M・Mの船が、神戸の港へ入ると、その船へ昼食を食べに行くことが出来たものだった。
 はじめての時は、フェリックス・ルセルという船だった。
 その碇泊中の船の食堂で、食べたフランス料理の味を、僕は永遠に記念したい。
 落着いた食堂で、純白のテーブル掛のかかったテーブルに着くと、黒ん坊のウェイターが、サーヴィスして呉れる。
 パンを、皿に載せないで、直かに、テーブルクロースの上へ置かれたのに、いささか面喰いつつ――パンの粉を、黒ん坊のウェイターが、時々刷毛で掃除して呉れた。――先ず出て来た、フォアグラの味に、もう、うっとりとしてしまった。
 本場のフランス料理ってものを、M・M汽船の食堂で覚えたことは、或いは僕にとって、生涯の不幸だったかも知れない。
 だって、フェリックス・ルセルをはじめとして、それから僕が、神戸へ行く度に通った船は、クイン・ドウメル、アラミス等々と数多いが、皆それは、戦争のはじまり頃のことなのだ。
 やがて、フランスの船へ食べに行くことなど、まかり成らない御時世にもなったし第一もう、M・Mの船なんか、日本へ来なくなってしまったのだもの。
 そして、わが国の食糧事情という奴が、もうセッパ詰って来て、洋食の如きも、殆んど姿を消すに至ったのだもの。
 うまい御馳走を、ちょいと味わわせて貰った、その後が、めちゃくちゃな食いものの時代になったのだから、たまらない。
 何を食ったって、船の食堂を思い出す。たまに、洋食のようなものが出たって、ああ、船では――と思っちまう。
 いっそ、罪な目に遭った。そんな気がした。なまじ、あんな美味いものを知らなきゃあ、こんな苦労はあるまいものをと、戦時中、幾たび嘆いたか分らない。
 又、戦後の今日、もはや何でも出揃い申し候の今日に至っても、M・Mの船で食ったフランス料理の味は、時々思い出す。
 今でも、ラングース・テルミドオー(とでも発音するのか)という、伊勢海老のチーズ焼。それが出て来ると、ハッと思い出すのだ、船の食堂を。
 船の食堂では、昼食には、スープは出なかった。いきなりが、オードヴルとしてのフォアグラ(ああその味!)(氷でこしらえた白鳥の背中などに盛られてありし――)が出て、その次が、伊勢海老のチーズ焼。
 ホカホカ熱いのを、フーフー言いながら食べる。甘いシャムパンのような酒が出る。ああこう書いていても、僕の心は躍るのだ。
 倦きも倦かれもせぬ仲を、無理に割かれた、そのかみの恋人を思うように。
 伊勢海老でない時は、そうだ、平目のノルマンディー風、なんてのもあったっけ。おお、そして、車海老のニューバーグ!
 いずれにしても、チーズの、じゅーッと焦げたのが、舌に熱かった。
 チーズといえば、もう食事の終る頃に、いろいろなチーズの(やっぱり、ここではフロマージュ…

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