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牛鍋からすき焼へ
ぎゅうなべからすきやきへ
作品ID52323
著者古川 緑波
文字遣い新字新仮名
底本 「ロッパの悲食記」 ちくま文庫、筑摩書房
1995(平成7)年8月24日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-01-13 / 2014-09-16
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

[#挿絵]

「おうなにしますか、それとも、ギュウがいいかい?」
 と、僕の祖母は、鰻を「おうな」牛肉を「ギュウ」と言った。
 無論、明治の話。然し、それも末期だ。だから、その頃は、牛鍋は、ギュウナベと言いました。
 今でこそ、牛肉すき焼と、東京でも言うようになったが、すき焼というのは、関西流で、東京では、ギュウナベだったんだ。今でも、ギュウナベと言いたいんだが、そんなこと言ったら、映画を活動写真と言うのより、もっと嘲われそうだ。いいえ、通じないんじゃないか、第一。
 僕が、その牛鍋を、はじめて食ったのは、四谷見附の三河屋だった。
 三河屋の牛鍋は、それから何十年間、成長してからも、食った。そして、今でも、牛肉と言えば、三河屋を思う程、深い馴染の店だった。
 そして、誰が何と言っても、三河屋くらい美味い店は無かった、と思っている。
 四角い、長方形の薄い皿に、牛肉が並んでいる。皿は、周囲に藍色の模様、肉の並べてある中央部は白。その皿が、ずうっと何十年間続いていた。
 他と違うのは、その皿の中に、牛肉の上に、タレがかけてあったこと。
 タレと言っては間違い、ワリシタと呼ぶのが正しいそうだが、ま、何っちにしても、その汁がかけてあって、女中が、その皿から、牛肉を鍋へ入れた後、皿に残った汁を、鍋の中へあけていたのを覚えている。
 三河屋の牛肉のうまかったのは、牛肉そのものの吟味してあったことは言うまでもないが、ワリシタが、よかった。皿の中の汁以外に、ワリシタを入れた器があり、それに秘伝もののワリシタが入っているのだが、その蓋を除ると、プーンと強い味淋の匂いがしたのを、これも判然覚えている。
 三河屋では、ザクは、葱一点張りで、(いや、シラタキはあったような気もするが)豆腐などは出さなかった。
 そして、ああこれは肝腎なことだった。その頃は、生卵なんか附けて食いませんでした。生卵を附けて食うのは、あれは(今では、もう東京でも何処でも、やっていますが)関西から渡って来た、食い方で、三河屋は、ワリシタ自慢。生卵など出さなかった。(後年は、出した)
 うまかったなあ、絶対。
 子供の頃から大人になるまで、何十遍か何百遍か通った、三河屋も、戦争が始まる前あたりかな、姿を消してしまった。僕は今でも、四谷見附を通る度に、あああの辺だったな、と思い出す。
 牛込神楽坂にも、島金という牛鍋屋があった。此処は、牛鍋専門ではなくて、色々な料理が出来た。
 子供の時、父に連れられて、幾度か、島金へも行ったが、牛鍋の他に、親子焼(鶏肉の入った卵焼)の美味かったことを覚えている。
 一昨年の冬だった。或る雑誌の座談会が、此の島金で催されて、何十年ぶりかで行った。なつかしかった。然し今は、牛鍋屋でなくて、普通の料理屋になっている。
 同じ神楽坂に、えびす亭がある。
 ここいらは、早稲田の学生頃に…

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