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八の字づくし
はちのじづくし
作品ID52331
著者古川 緑波
文字遣い新字新仮名
底本 「ロッパの悲食記」 ちくま文庫、筑摩書房
1995(平成7)年8月24日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-01-19 / 2014-09-16
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 名古屋ってとこ、戦前から戦争中にかけて、僕は好きじゃなかった。名古屋へ芝居で来る度に、ああまた名古屋か、と、くさったものだ。というのは、食いものが、何うにも面白くなかった。
 一口に言えば、名古屋ってとこ、粗食の都だったんじゃないか。それが、戦後は、変りましたね、食いもの屋の多いこと、贅沢になったこと、驚くべし。
 だから、戦後は、名古屋行きは、苦にならない。
 まず、宿へ着いたら、八丁味噌の汁を、ふんだんに、と、たのむ。それも、身は、他のものでは、いけない。里芋に限る。それも、東京式に、小さな里芋を、まるごと入れたんでは駄目、短冊(?)に切った奴。朝食には、その八丁味噌汁の三杯汁だ。
 それに名古屋で嬉しいのは、抹茶が何処でも飲めること。大抵の宿屋で、すぐ作って呉れるから、これも三杯汁の式で、毎朝、何服と行く。
 名物のういろうが、お茶に合います。納屋橋まんじゅうも結構だ。
 併し、これらの味は、戦前から、あったもの。戦後に、名古屋が食い倒れの都と化した、その一番先きは、洋食じゃないだろうか。
 僕が脂っ濃いもの好きで、淡りした日本料理を解さないせいかも知れないが、洋食店が、殖えたことは、名古屋の変化の、一つの大きな現象だろう。
 戦前、名古屋で、洋食と言ったら、老舗の中央亭、朝日ビルのアラスカ、観光ホテル、ぐらいのものではなかったか。
 そりゃあ、名古屋にだって、得月とか、何とか、上等の、うまいもの屋は、あった。けど、そいつは、脂の好きな僕には、縁がなく、せいぜい、加茂女の豚の角煮ぐらいしか覚えていない。
 それが、戦後の名古屋の洋食は、ワアッとひらけた。
 町名を忘れたが、今松というグリルが、戦後の洋食の草分けではないのか。これが、松阪屋裏の、バンガローとなって、こくのあるフランス料理を食わしたもんだが、今松もなくなり、バンガローは、喫茶店になったとかきいたが。
 八雲って店も、「先生」と呼ばれる、老チーフが、科学実験してるみたいな顔で、眼の前で料理するのが、たのしかった。
 八千代の、ビフテキも、結構である。東京へ出したって、立派だ。
 八百文という店を御存知か?
 名宝前の小さな、古風な洋食屋だが、ここのタンシチュウは、実にいい。量も、たっぷりで、昔流の味だが、うまくて、安い。僕は、名古屋へ行く度に、必ず食っている。
 と書いていて、今、僕の列記した店の名前が、みんな、八の字が附いていることに気がついた。八雲、八千代、八百文。
 もう一つ、八の字を追加すれば、天ぷらの八重垣だろう。これは、洋食じゃあないが。
 これも町名不詳。最近八重垣へ行ったら、おかみさんが、「高い天ぷら食べて下さいますか」と言った。僕が曾て此の店のことを、何かの雑誌に、天ぷらは、うまいが、高い高いと、もっとも、それは戦争はるか以前のことなんだが、そう書いたのを、読んだらしい。…

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