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富士屋ホテル
ふじやホテル
作品ID52332
著者古川 緑波
文字遣い新字新仮名
底本 「ロッパの悲食記」 ちくま文庫、筑摩書房
1995(平成7)年8月24日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-01-01 / 2014-09-16
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 箱根宮の下の富士屋ホテルは、われら食子にとって、忘れられない美味の国だった。
 戦前戦中、僕は、富士屋ホテルで、幾度か夏を過し、冬を送ったものだった。それが、終戦後、接収されて、日本人は入れなくなってしまった。そして又、それが一昨年の夏だったか、解除になって、再び日本人も歓迎ということになり、ホテルから通知が来た。
 行きたいとは思いながら、暇もなかったし、又一つには(と言って、実は、これが重要な点であるが)高いだろうなあと思って、今まで行く機会が無かった。
 戦前から戦後にかけての値段は、三食と、お八つ(コーヒー又は紅茶に、トースト)が附いて、バス附の部屋で、一泊二十円(サーヴィス料一割)位だった。さあそれが、今の世の中では、一体幾ら位になっていることだろう。
 再開の通知を貰うと、折返し、値段を報せろと言ってやったので、それが届いた。三食附のアメリカンシステムではなくなって(戦後アメリカンシステムではなくなったのは面白い)(面白かあないか)食事は別になっている。そして、僕の計算によると、戦前の一泊二十円は、大体に於て、五千円位になるのではないか。但し、三食は食うが、酒を飲んだらそれでは済むまい。(それは、戦前とても同じではあるが)となると、安くないからなあ。今の僕の身分と致しましては、一寸考えちまった。それが、此の三月のことである。スポンサーが附いた(つまり、万事奢ってくれる人が出来たこと)。行ってみようじゃないかということになって、而も、東京から、彼スポンサー氏の自ら運転する自動車(無論自家用のパリだ)で、富士屋ホテルの玄関へ、堂々と到着した。
 まことに、いい気持であった。
 玄関で、自動車を下りた途端に、四辺を見廻しながら、
「うーん、昔のまんまだねえ」
 と言ってしまった。戦災を受けていないから、当りまえである。そして、花御殿という離れの一室に、落ち着いたのであるが、さて然し、此処の食堂も昔のまんまだろうか、と心配になって来た。
 昔の、富士屋ホテル。
 ここで、溶暗――溶明。
 昭和十五年の、僕の食日記が登場する。昔の富士屋ホテルの姿である。
 一月三十一日 夕方、宮の下富士屋ホテル着。夕食=白葡萄酒(ソーテルン)小壜一本。オードヴルが、実によく、ビフテキ、プディング、美味し。
 二月一日 朝食=オレンジ・ジュース、オートミール、煎り卵、コーヒー、トースト。昼食=オードヴル、ポタアジュ、車海老のフライ、鶏とヌードル。夜食=ローストビーフが、よし。
 二月二日 朝食=煎り卵と、コーンビーフ・ハッシュ。昼食=マカロニ・メキシカン、車海老のカレーライス。夕食=トマトクリームスープと、プラム・プディングが、よかった。
 二月三日 朝食=オートミールと、煎り卵。昼食=ポタアジュ、よし。ボイル・ディナーと、ポーク・ソーセージ。夕食=ソーテルン一本。
 も…

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