えあ草紙・青空図書館 - 作品カード


広告

大植物図鑑
だいしょくぶつずかん
副題04 自序
04 じじょ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「大植物圖鑑」 大植物圖鑑刊行會【近代デジタルライブラリー利用】
1925(大正14)年9月25日
入力者蒋龍
校正者フクポー
公開 / 更新2018-03-13 / 2018-02-25
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

広告

⮞⮞⮞ えあ草紙で読む
▲ PC/スマホ/タブレット対応 ▲
旧Flash版で読む
HTMLページで読む

find Kindle 楽天Kobo Playブックス

find 朗読を検索

本の感想を書き込もう web本棚サービスブクログ作品レビュー

青空文庫の図書カードを開く

find えあ草紙・青空図書館に戻る

amazon.co.jp

広告

本文より

 人生に最も關係の深いのは植物である。植物と動物とは相互に同化作用に依つて生活を營んでゐるが、若し此の世界から人間以外の動物を驅逐したとしても、人間の生存することは必ずしも不可能でないであらう。けれども植物なしに人間が生存することが出來るであらうか、それは全然出來ないと言はなければならない。是れ唯生存に必要な同化作用が出來ないからといふばかりでなく、植物なくしては直ちに食物の上に大なる支障を生ずるからである。現に菜食主義を唱へて植物性以外の食物を全く攝らない者はあるけれども未だ肉食のみに依つて全く植物性の食物を攝らずに生存してゐる人間のあることを聞かぬ。
 實際的利用的に見ても此の通りであるが今は暫く利用的態度を離れて、此の世界を一草一木も無い一大沙漠の如きものと假想したならば何うであらうか、人は必ず平板無味にして何等の刺戟なき土塊の上に生存するに堪へぬであらう。何處を向いても單調な色彩であり、一樣な砂丘であるならば人は必ず地上の生活を詛ふに相違ない。然るに此の世は幸にして沙漠ではなかつた、焦土ではなかつた。地上は草木のために限りもなく美しく彩られ、更に芳香高く色彩麗はしき花に依つて、到る所に變化と趣致とを添へてゐる。草木なくして山水に何の趣があらう、この國土に何の眺があらう。所詮人生は草木を外にしては成立しない。
 メーテルリンクは草花の叡智を説き、驚く可き其の感覺を述べてゐる。詩人的に之を觀察すれば幾多の神秘も發見されよう、科學的に之を觀察すれば造化の玄妙を驚嘆するばかりである。併し吾等の研究はたゞ自然の至妙に驚嘆して止む可きではない。これを利用厚生の立場から見て、如何に人生に資すべきかを考へねばならぬ。審美的鑑賞的のものは美的滿足を贏ち得るものとして、實用的生産的のものは亦其の用途効果等に就いて各々利用の方法を考察せねばならぬ。是の如くして人生と植物との關係を一層密接ならしむることは、吾々斯學研究者の當然爲すべき責務であらうと思ふ。
 余は何うかして一般植物と人生との交渉を深からしめたいとの考へから、曩には先づ植物の名稱形状等を知らしめて人々に植物に對する親愛の念を起さしむる目的を以て、植物圖鑑其他二三の著述を公表したが、それは素より目的に到達するための豫備的事業に過ぎなかつた。何時かは本書を完成して、廣く我が國に分布する一般植物を科學的に記述し普ねく之を人生の各般に關聯せしめて、其の栽培利用法等をも精確に解説し、而して一般の理解をも得しめんことを期したのであつた。斯くして余が當初の念願は本書に著手後十有五年にして漸く此に達成せられたのである。
 右にも左にもこれで余が植物研究の最初の目的を達した譯であるが、此に到達する迄には隨分幾多の辛酸困苦と戰はねばならなかつた。わが身邊の事を管々しく記すは憚るが、余は全く家財を糜し家族を犧牲にして、幾度か忍ぶ可か…

えあ草紙で読む

find えあ草紙・青空図書館に戻る

© 2018 Sato Kazuhiko