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博多にて
はかたにて
作品ID52334
原題AT HAKATA
著者小泉 八雲
翻訳者林田 清明
文字遣い新字新仮名
入力者林田清明
校正者富田倫生
公開 / 更新2010-12-02 / 2019-03-02
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 人力車で旅行していて、できるのはあたりを眺めることと夢見ることくらいである。揺れるので読書はできないし、自分のと連れの人力車が2台並んで走れるような道幅があったとしても、車輪の回る音や風の音がするので会話することもできない。日本の景色の特徴にも慣れてくると、旅行の間、長い休憩の時を除けば、強く印象づけられるような新規な事柄でもなければ、もう見ようともしないのである。道は、たいがいは水田や野菜畑、それに小さな村落を抜け――そして、限りなく続いている緑や青い色の丘の間を通っている。時には菜種の花の、燃えるような黄色で溢れた平野や、蓮華花の紅紫色で覆われた谷を横切るときなど、実にはっとするような色彩が広がっていることもある。しかし、これらとて、とても短い季節の、ほんの一瞬の輝きにすぎない。広大な緑一色というのは、単調で飽きてしまい、たいていはどんな能力にも訴えかけない。おそらく、頬にあたる風に吹かれながら、物思いにふけったり、こっくりと居眠りするのが関の山だし、たまさか余計な力のために人力車が揺れたときにだけ、目が覚めたりする。
 秋に博多へ旅行した時もそうであったが、やはりまわりを眺めたり、夢を見たり、うつらうつらと居眠りをしていたのである。トンボが飛んでいるのや、見渡すかぎり広がる水田の畝が限りなく繋がっているのや、水平線の彼方に見慣れた山の峰がわずかに移りゆく様や、万物の上にあって、青空に浮かぶ白雲の変化する様を眺めたのだった。が、いったい何度、九州の同じ景色を眺めなければならないのか、また、目覚めるような素晴らしいものがないと嘆かねばならないのか、と自問する始末であった。
 ふいに、しかし、とてもゆっくりとある考えが浮かんできた。それは、ありうべき光景の最も素晴らしいものは、世界のごくありふれた緑の中に――つまり、生命の終わりなき出現の中に存在するのではなかろうか、と。
 古来、至る所で、緑の生物体は、目に見えない始まりから――柔らかい大地や硬い岩から――成長しているし、人類よりもはるかに古くから、おびただしく、また沈黙して音を出さない種を形作っている。その目に見える歴史については、私たちは多くを知っている。それらに名前が付けられ、また分類もされた。葉の形、その果実の質や花の色の理由についても知っている。なぜなら、地上のあらゆるものに形を与えている恒久の法則の有り様について少なからず学んできたからである。しかし、なぜ植物は存在しているのか――これについて私たちは知らない。この普遍的な緑となって現れようとする霊的なものとは一体何なのか? それは、繁殖しないものから由来しながら、永遠に繁殖するという謎である。あるいは、生命がないと思われている無生物もそれ自体生命であるのか――つまり、それはより沈黙した、より隠れた生命にすぎないのか?
 しかし、奇妙で動…

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