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お伽草紙
おとぎぞうし
作品ID52380
著者太宰 治
文字遣い旧字旧仮名
底本 「太宰治全集8」 筑摩書房
1998(平成10)年11月25日
初出「お伽草紙」1945(昭和20)年10月25日
入力者大沢たかお
校正者阿部哲也
公開 / 更新2011-08-08 / 2014-09-16
長さの目安約 144 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

前書き

「あ、鳴つた。」
 と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を脊負つて壕の奧にうずくまつてゐる。
「近いやうだね。」
「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」
「さうかね。」と父は不滿さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危險がある。」
「でも、もすこし廣くしてもいいでせう。」
「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐるから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。
 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は繪本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に讀んで聞かせる。
 この父は服裝もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元來ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を體得してゐる男なのだ。
 ムカシ ムカシノオ話ヨ
 などと、間の拔けたやうな妙な聲で繪本を讀んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が[#挿絵]釀せられてゐるのである。
[#改ページ]

瘤取り

ムカシ ムカシノオ話ヨ
ミギノ ホホニ ジヤマツケナ
コブヲ モツテル オヂイサン
 このお爺さんは、四國の阿波、劍山のふもとに住んでゐたのである。といふやうな氣がするだけの事で、別に典據があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から發してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事實がちやんと記載せられているし、また萬葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙傳などといふものに依つても、それらしいものが傳へられてゐるやうだし、また、つい最近に於いては鴎外の戲曲があるし、逍遙などもこの物語を舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能樂、歌舞伎、藝者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、讀んだ本をすぐ人にやつたり、また賣り拂つたりする癖があるので、藏書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし讀んだ筈の本を搜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一册の繪本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考證はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬ…

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