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三国志
さんごくし |
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作品ID | 52419 |
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副題 | 11 五丈原の巻 11 ごじょうげんのまき |
著者 | 吉川 英治 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「三国志(八)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社 1989(平成元)年5月11日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2013-10-15 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 355 ページ(500字/頁で計算) |
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中原を指して
一
蜀の大軍は、[#挿絵]陽(陝西省・[#挿絵]県、漢中の西)まで進んで出た。ここまで来た時、
「魏は関西の精兵を以て、長安(陝西省・西安)に布陣し、大本営をそこにおいた」
という情報が的確になった。
いわゆる天下の嶮、蜀の桟道をこえて、ここまで出てくるだけでも、軍馬は一応疲れる。孔明は、[#挿絵]陽に着くと、
「ここには、亡き馬超の墳がある。いまわが蜀軍の北伐に遭うて、地下白骨の自己を嘆じ、なつかしくも思っているだろう。祭を営んでやるがよい」
と、馬岱を祭主に命じ、あわせてその期間に、兵馬を休ませていた。
一日、魏延が説いた。
「丞相。それがしに、五千騎おかし下さい。こんなことをしている間に、長安を潰滅してみせます」
「策に依ってはだが……?」
「ここと長安の間は、長駆すれば十日で達する距離です。もしお許しあれば、秦嶺を越え、子午谷を渡り、虚を衝いて、敵を混乱に陥れ、彼の糧食を焼き払いましょう。――丞相は斜谷から進まれ、咸陽へ伸びて出られたら、魏の夏侯楙などは、一鼓して破り得るものと信じますが」
「いかんなあ」
孔明は取り上げない。雑談のように軽く聞き流して、
「もし敵に智のある者がいれば、兵をまわして、山際の切所を断つにきまっている。そのときご辺の五千の兵は、一人も生きては帰れないだろう」
「でも、本道を進めば、魏の大軍に対して、どれほど多くの損害を出すか知れますまい」
孔明はうなずいた。その通りであると肯定しているものの如くである。そして彼は彼の考えどおり軍を進ませた。隴右の大路へ出でて正攻法を取ったものである。
これは、魏の予想に反した。孔明はよく智略を用いるという先入観から、さだめし奇道を取ってくるだろうと信じて、ほかの間道へも兵力を分け、大いに備えていたところが、意外にも蜀軍は堂々と直進して来た。
「まず、西[#挿絵]の兵に、一当て当てさせてみよう」
夏侯楙は、韓徳を呼んだ。これはこんど魏軍が長安を本営としてから、西涼の[#挿絵]兵八万騎をひきいて、なにか一手勲せんと、参加した外郭軍の大将だった。
「鳳鳴山まで出で、蜀の先鋒を防げ。この一戦は、魏蜀の第一会戦だから、以後の士気にもかかわるぞ。充分、功名を立てるがいい」
夏侯楙に励まされて韓徳は勇んで立った。
彼に四人の子がある。韓瑛、韓瑤、韓瓊、韓[#挿絵]、みな弓馬に達し、力衆に超えていた。
「八万の強兵、四人の偉児。もって、蜀軍にひと泡吹かすに足るだろう」
自負満々、彼は戦場へ臨んだが、なんぞ知らん、これは夏侯楙が、なるべく魏直系の兵を傷めずに、蜀の先鋒へまず当てさせた試しに乗ったものとはさとらなかった。
望みどおり蜀軍の先鋒と、鳳鳴山の下で出会ったが、その第一会戦に、韓徳は四人の子を亡ってしまった。
そのあいては、蜀の老将趙雲であった。
長男…