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私本太平記
しほんたいへいき
作品ID52422
副題02 婆娑羅帖
02 ばさらじょう
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「私本太平記(一)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年2月11日
「私本太平記(二)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年2月11日
入力者門田裕志
校正者トレンドイースト
公開 / 更新2013-01-02 / 2022-02-07
長さの目安約 252 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

乱鳥図

 都は紅葉しかけている。
 高尾も、鞍馬も。
 その日、二条加茂川べりの水鳥亭は、月例の“文談会”の日であった。
 流れにのぞむ広間の水欄には、ちらほら、参会者の顔も見えはじめ、思い思いな水鳥の群れに似た幾組かを、ここかしこに作りあっていた。
「いいなあ、秋の水音は」
「肌ごこち、なんともいえぬ。河原は昼の虫の音だし……」
 また、べつな組では。
「――今日は、何人ぐらい集まろうかの」
「いや、ほとんど洩れはあるまい」
「触れ状では、久しく見えなんだ俊基朝臣も、今日はお顔を出されるとか」
「それよ。何ぞの報告もあるにちがいない。長い忍び行脚から、両三日前、密かに、帰邸しておられたそうだから」
 かかるうちに、追々、参加者はふえていた。
 ――顔ぶれを見ると。
 尹ノ師賢、四条隆資、洞院ノ実世、伊達ノ三位遊雅、平ノ成輔、日野資朝。
 僧では、聖護院ノ法印玄基。ほか数名。
 また武士側は、足助次郎重成、多治見国長、土岐左近頼兼などの十数人。
 さらに、儒者とも医師ともみえぬ者も、交じっている。
 要するに、この文談会の趣旨というのは。
 僧俗貴賤の階級も問わず、ただ文雅に心をよせ、好学の志を持つものを以て集まる――というのであったから、この玉石混淆も、ふしぎではない。
 そして、自作の詩文を評し合い、また、時代の新思想とされている宋学を論究したり、時には、当代の泰斗を招いて、その講義を聴く――というおそろしく、まじめな会でもある。
 が、それは表面の標榜にすぎなかった。――この中の武士にも公卿にも、およそ六波羅や、幕府方に信用されている人間は、一人も見あたらないのをみても、それはわかる。
 ここの会場水鳥亭も、たれの館でもない。むかしは、奢りを謳われた大臣の別荘であったというが、住みてもなく荒れていたものを、一昨年ごろ手入れして、以来月々の“文談会”の例席としてきたに過ぎない。
 だが、会合も、回をかさねること、すでに二十たびをこえ、そのつど顔ぶれもふえ、またさかんになるに従って、会後の婆娑羅な無礼講の遊宴も、いつか常例になっていた。
 無礼講は、無礼問わずである。
 僧は僧衣を外し、武者は烏帽子をかなぐり除けて肌をぬぎ、公卿も冠を床において、飲む、歌う、舞うの徹底的な快楽をつくすのだった。
 これには、近くの堀川や六条あたりから、白拍子や遊女など二十余人も来て興をそえ、加茂川の瀬に朝月のかたむく頃まで、なおまだ、乱痴気な灯影や人影が、水亭の簾にさんざめいていることすらあった。
 なにしろ、妙な会である。
 時流的なばさら遊びが目的の会なのか。学問討論が中心か。それとも、これは偽装で、べつに意図するもののある秘密の結社なのだろうか。
 ほどなく、人々の間に、
「お。見えられた」
 と、ささやきが流れ、水鳥亭の広間には、この秋の日に、さらに一色彩を加えた…

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