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あし
作品ID52446
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「柳生月影抄 名作短編集(二)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年9月11日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2013-03-09 / 2014-09-16
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

飢餓山河




「彦太承知だの」
「む、行く」
「二十日の寄合いにゃ、きっと、顔を出してくれや。村の者あ、おぬしが力だ。腕も弁もあるしの、学問だって、青梨村じゃ、何というても、彦太だもんのう」
 大庄屋の息子と、老百姓が二、三名と、それを焚きつけてる郷士の伜とが、こっそり籾蔵から帰って行った。
 彦太は、家の裏口を見張りながら、時候ちがいの冷露で、黒い枯れッ葉になった桑畑へ消えて行く人々を、見送っていた。
この子四ツじゃに
糠より軽い
軽いはずだよ
稗糧と夫婦の坊子じゃもの
坊子にゃ出ぬ乳も
運上にゃしぼる
藁で髪ゆい、縄帯しめて――
 痩せた畑を、小作の子が、聞き覚えの味噌煮唄をどなって通った。彦太は、この痩地と百姓との宿命を、呪うように、腕ぐみしていた。日が暮れても、たね油の灯が燈せない村だった。
「いッそ、鍬を捨てて、馬口労か、木挽かになろうとしても、役銀をとられるし、油屋、酒屋も株もの、川船で稼げば川運上、雑魚を漁っても、網一つに幾らの税だ。――とても食えぬと、他領へ逃げるにも、もし捕れば打首。子を生めば胞衣金、死ねば寺金。――一体、どうしたらいい百姓だ」
 と考えた。
 飢えて死ぬより、強訴だ、一揆だ!
 と今、囁いて行った人々の言葉だの、もがいている眼つきだのが、ひしと、心を噛む。
「どうしても、二十日には、顔を出さねばならないかな。俺が出れば、弱音はふけぬ。自分の火が、村を何十ヵ村も、火にしてしまうが――」
 彦太は、自分の熱っぽい性格が怖かった。
 一人の犠牲で、何十ヵ村の飢えが、救えるものならいいが、この真由伊賀守の領土では、繭糸一揆だの、千曲川の運上騒動だの、また、領主がお庭焼の陶器に凝って、莫大な費用の出所を、百姓の苛税に求めたので起った須坂の瀬戸物一揆だのと、彦太がもの心ついてからでも、数えきれぬ程、むしろ旗が騒いだが、一つも、成功した例がなかった。
 人国記にもいわれてる通り、由来信州人は、智慾は旺なるも、争気に富み、郷党和せず、という欠陥があるのと、痩地の十万石で、貧乏財政をやりくりしてる藩役人は、狡策に長け、一揆の対抗には狎れきっているし、そういう方面でも、兵法の家筋だった。だから、騒いだ後は、いつも、千曲川が赤くなるほど、首謀者の首が、並べて斬られ、結局、百姓は又、何も得るところはなく、
坊子にゃ出ぬ乳も
運上にゃしぼる
 と、味噌煮唄でもうたって、欝憤をやるだけのものになってしまう。



 近年は、その真田伊賀守の家臣で、佐久間修理という名が、百姓たちの怨嗟の的だった。修理は、号を象山といい、学者で、砲術家で、経世家だと聞えている。一頃は、目付役兼検見方として、千曲川を改修し、山には檜を植林し、低地には、林檎苗を奨励した。又、温泉の利用だの、火薬の製法だの、葡萄酒の作り方などをも、才学にまかせて試みた。それはいいが、…

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