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山の人生
やまのじんせい
作品ID52505
著者柳田 国男
文字遣い新字新仮名
底本 「遠野物語 山の人生」 岩波文庫、岩波書店
1976(昭和51)年4月16日
初出山の人生「アサヒグラフ 第四巻第二号~第五巻第七号」朝日新聞社、1925(大正14)年1月7日~8月12日<br>山人考「大正六年日本歴史地理学会大会講演手稿」1917(大正6)年11月18日
入力者Nana ohbe
校正者川山隆
公開 / 更新2013-05-23 / 2016-07-01
長さの目安約 234 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

自序



 山の人生と題する短い研究を、昨年『朝日グラフ』に連載した時には、一番親切だと思った友人の批評が、面白そうだがよく解らぬというのであった。ああして胡麻かすのだろうという類の酷評も、少しはあったように感じられた。もちろん甚だむつかしくして、明晰に書いてみようもないのではあったが、もしまだ出さなかった材料を出し、簡略に失した説明を少し詳しくしてみたら、あれほどにはあるまいというのが、この書の刊行にあせった真実の動機であった。ところが書いているうちに、自分にも一層解釈しにくくなった点が現れたと同時に、二十年も前から考えていた問題なるにもかかわらず、今になって突然として心づくようなことも大分あった。従ってこの一書の、自分の書斎生活の記念としての価値は少し加わったが、いよいよ以て前に作った荒筋の間々へ、切れ切れの追加をする方法の、不適当であることが顕著になった。しかしこれを書き改めるがために費すべき時間は、もうここにはないのである。そのうえに資料の新供給を外部の同情者に仰ぐためにも、一応はこの形をもって世に問う必要があるのである。なるほどこの本には賛否の意見を学者に求めるだけの、纏まった結論というものはないかも知れぬが、それでも自分たち一派の主張として、新しい知識を求めることばかりが学問であることと、これを求める手段には、これまで一向に人に顧みられなかった方面が多々であって、それに今われわれが手を着けているのだということと、天然の現象の最も大切なる一部分、すなわち同胞国民の多数者の数千年間の行為と感想と経験とが、かつて観察し記録しまた攻究せられなかったのは不当だということと、今後の社会改造の準備にはそれが痛切に必要であるということとは、少なくとも実地をもってこれを例証しているつもりである。学問をもって文雅の士の修養とし、ないしは職業捜索の方便と解して怪まなかった人々は、このいわゆる小題大做に対して果していかなる態度を取るであろうか。それも問題でありまた現象である故に、最も精細に観測してみようと思う。
(大正十五年十月)
[#改丁]

一 山に埋もれたる人生あること

 今では記憶している者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞で斫り殺したことがあった。
 女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘を貰ってきて、山の炭焼小屋で一緒に育てていた。その子たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度里へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手で戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。
 眼がさめて見ると、小…

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