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都会はぜいたくだ
とかいはぜいたくだ |
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作品ID | 52648 |
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著者 | 小川 未明 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「定本小川未明童話全集 7」 講談社 1977(昭和52)年5月10日 |
初出 | 「教育研究」1930(昭和5)年8月3日 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 館野浩美 |
公開 / 更新 | 2019-11-10 / 2020-11-01 |
長さの目安 | 約 9 ページ(500字/頁で計算) |
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デパートの高い屋根の上に、赤い旗が、女や子供のお客を呼ぶように、ひらひらとなびいていました。おかねは、若い、美しい奥さまのお伴をしてまいりました。
そこには、なんでもないものはありません。みるもの、すべてが、珍しいものばかりでした。
東京へ出てきてから、奥さまにつれられて、方々を歩くたびに、田舎のさびしいところで働いて暮らす、お友だちのことを思わぬことはなかったのです。
「おつねさんなんか、こんなにぎやかなところは知らないのだ……。」と思うと、青々とした田圃の中に立っている、友だちの姿がありありと見られました。
千円、二千円という札のついた、ダイヤモンドの指輪が、装飾品の売り場にならべてありました。それを見ただけでもびっくりしたのです。また、食料品を売っている場所には、遠い西の国からも、南の国からも名物が集まっていました。そして、それにも高い値段がついていました。
「まあ、こんな高いものを、東京には、食べる人があるのだろうか?」と、疑われたのであります。
「おかねや、おまえの国の名物には、どんなものがあって?」と、奥さまは、ふりかえって、聞かれました。
おかねは、なんだろう? と思いました。小学校にいる時分、地理の時間に、自分の国の名産をいろいろ教えられましたが、この東京にまで出されているような名物は知らなかったのでした。
「わかりません。」と、耳を赤くしながら、答えるよりほかなかったのです。
見て歩くうちに、相模川のあゆや、八郎潟のふなまで、ならべられてありました。
「まあ、川魚までが、方々から、汽車で送られてくるのかしらん。」
このとき、彼女の頭に、弥吉じいさんの顔が浮かびました。じいさんは、川魚をとって生活したのであります。どんな暗い雨の降る晩も出かけてゆきました。なんでも、青いかえるを針につけて、どろ深い川で、なまずを釣り、山から流れてくる早瀬では、あゆを釣るのだという話でした。
夏、秋、冬、ほとんどおじいさんの休む日はありませんでした。ちょうど百姓が米を作ると同じように、また、職工が器具を造ると同じように、魚をとるのも、一通りでない骨おりでありました。心ある人なら、だれでもこのようにして作られた、食物はむだにし、また器具を粗末に取り扱うことをよくないと思うでありましょう。
このおじいさんが、これほど、骨をおって釣り上げた魚を、だれが、食べるのだろうか? そう思ったことに、無理はなかったのです。
なぜなら、雪の降る寒い晩に、おじいさんは、出かけてゆきました。村の子供らは、窓の外で鳴り叫ぶあらしの音に耳を澄まして、幾枚も蒲団をかぶっても、まだ震えがちにちぢこまっているのに、おじいさんは出かけなければなりませんでした。
川の上には雪が積もっていました。そして、その下の流れは、止まっていました。おじいさんは雪を掘り氷を破ると、その下に…