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「惜別」の意図
「せきべつ」のいと |
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作品ID | 52678 |
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著者 | 太宰 治 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「太宰治全集11」 筑摩書房 1999(平成11)年3月25日 |
入力者 | 小林繁雄 |
校正者 | 阿部哲也 |
公開 / 更新 | 2011-12-17 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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明治三十五年、當時二十二歳の周樹人(後の世界的文豪、魯迅)が、日本國に於いて醫學を修め、以て疾病者の瀰漫せる彼の祖國を明るく再建せむとの理想に燃え、清國留學生として、横濱に着いた、といふところから書きはじめるつもりであります。多感の彼の眼には、日本の土地がどのやうに寫つたか。横濱、新橋間の車中に於いて、窓外の日本の風景を眺めながらの興奮、ならびに、それから二箇年間、東京の弘文學院に於ける純眞にして内氣な留學生々活。東京といふ都會を彼はどのやうに愛し、また理解したか。けれども彼には、彼の仲間の留學生たちに對する自己嫌惡にも似た反撥もあり、明治三十七年、九月、清國留學生のひとりもゐない仙臺醫學專門學校に入學するのでありますが、それから二箇年間の彼の仙臺に於ける生活は、彼の全生涯を決定するほどの重大な時期でありました。彼はこの時期に於いて、二、三の日本の醫學生から意地惡をされたのも事實でありますが、また一方に於いては、それを償つてあまりある程の、得がたい日本の良友と恩師を得ました。殊にも藤野嚴九郎教授の海よりも深い恩愛に就いては、彼は後年、「藤野先生」といふ謝恩の念に滿ちあふれた名文を草してゐるほどで、「ただ先生の寫眞のみは今なほ僕の北京の寓居の東側の壁に、書卓に向つて掛けてある。夜間倦んじ疲れて、懈怠の心が起らうとする時、頭をもたげて燈光の中に先生の黒い痩せたお顏を瞥見すると、いまにも抑揚頓挫のある言葉で話しかけようとしてゐられるかの如く思はれる。と忽ち又それが僕の良心を振ひおこさせ、そして勇氣を倍加させてくれる」と書いてあります。さらにまた重大の事は、この仙臺の町に、唯一人の清國留學生として下宿住居をしてゐるうちに、彼は次第に眞の日本の姿を理解しはじめて來たといふ一事であります。時あたかも日露大戰の最中であります。仙臺の人たちの愛國の至情に接して、外國人たる彼さへ幾度となく瞠目し感奮させられる事があつたのでした。彼も、もとより彼の祖國を愛する熱情に燃えて居る秀才ではありますが、眼前に見る日本の清潔にして溌剌たる姿に較べて、自國の老憊の姿を思ふと、ほとんど絶望に近い氣持になるのであります。けれども希望を失つてはならぬ。日本のこの新鮮な生氣はどこから來るのか。彼は周圍の日本人の生活を、異常の緊張を以て、觀察しはじめます。由來、清國の青年の日本留學の眞意は、日本こそ世界に冠たる文明國と考へてやつて來るのではなく、やはり學ぶべきは西洋の文明ではあるが、日本はすでに西洋の文明の粹を刪節して用ゐるのに成功してゐるのであるから、わざわざ遠い西洋まで行かずともすぐ近くの日本國で學んだ方が安直に西洋の文明を吸收できるといふところに在つたやうで、二十二歳の周樹人もまた、やはり、そのやうな氣持で日本に渡つて來たのは致し方のないところであつたのでありますが、しかし、彼のさまざま細か…