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世界的
せかいてき
作品ID52684
著者太宰 治
文字遣い旧字旧仮名
底本 「太宰治全集11」 筑摩書房
1999(平成11)年3月25日
初出「早稻田大學新聞 第二百二十六号」1941(昭和16)年10月15日
入力者小林繁雄
校正者阿部哲也
公開 / 更新2011-12-12 / 2014-09-16
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 ヨーロツパの近代人が書いた「キリスト傳」を二、三册讀んでみて、あまり感服できなかつた。キリストを知らないのである。聖書を深く讀んでゐないらしいのだ。これは意外であつた。
 考へてみると、僕たちだつて、小さい時からお婆さんに連れられてお寺參りをしたり、またお葬式や法要の度毎に坊さんのお經を聞き、また國寶の佛像を見て歩いたりしてゐるが、さて、佛教とはどんな宗教かと外國の人に改つて聞かれたら、百人の中の九十九人は、へどもどするに違ひないのだ。なんにも知らない。
 外國の人もまた、マリヤ樣、エス樣が、たいへんありがたいおかたであるといふ事は、教會の雰圍氣に依つて知らされ、小さい時からお祈りをする習慣だけは得てゐながらも、かならずしも聖書にあらはれたキリストの悲願を知つてはゐないのだ。J・M・マリイといふ人は、ヨーロツパの一流の思想家の由であるが、その「キリスト傳」には、こと新しい發見も無い。聖書を一度、情熱を以て精讀した人なら、誰でも知つてゐる筈のものを、ことごとしく取扱つてゐるだけであつた。この程度の「キリスト傳」が、外國の知識人たちに尊敬を以て讀まれてゐるんなら、一般の聖書知識の水準も、たかが知れてゐると思つた。たいした事はないんだ。むかし日本の人に、キリストの精神を教へてくれたのは、歐米の人たちであるが、今では、別段彼等から教へてもらふ必要も無い。「神學」としての歴史的地理的な研究は、まだまだ日本は、外國に及ばないやうであるが、キリスト精神への理解は、素早いのである。
 キリスト教の問題に限らず、このごろ日本人は、だんだん意氣込んで來て、外國人の思想を、たいした事はないやうだと、ひそひそ囁き交すやうになつたのは、たいへんな進歩である。日本は、いまに世界文化の中心になるかも知れぬ。冗談を言つてゐるのではない。
 先日、或る外國の新刊本をひらいてみたら、僕の友人の寫眞が出てゐるのを見て、おどろいた。日本の代表的な思想家といふ説明文が附いてゐて、その友人は、八つ手の傍で胸を張つて堂々と構へてゐた。僕は、この友人と酒を飮んで「おまへは馬鹿だよ」と言つた事があるのを思ひ出して、恐縮した。馬鹿どころではない。既に、世界的な評論家なのである。あまり身近かにゐると、かへつて眞價がわからぬものである。氣を附けなければならぬ。
 日本有數といふ形容は、そのまま世界有數といふ實相なのだから、自重しなければならぬ。



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