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津軽地方とチエホフ
つがるちほうとチエホフ |
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作品ID | 52685 |
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著者 | 太宰 治 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「太宰治全集11」 筑摩書房 1999(平成11)年3月25日 |
初出 | 「アサヒグラフ 第四十五巻第十四号」1946(昭和21)年5月15日 |
入力者 | 小林繁雄 |
校正者 | 阿部哲也 |
公開 / 更新 | 2011-12-01 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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こなひだ三幕の戲曲を書き上げて、それからもつと戲曲を書いてみたくなり、長兄の本棚からさまざまの戲曲集を持ち出して讀んでみたが、日本の大正時代の戲曲のばからしさには呆れた。よくもまあ、こんなものを、書く人も退屈せずに書いたもの哉、讀む人も退屈せずに讀んだもの哉、さうしてこんなものでもたいてい大劇場に於て當時の名優に依つて演ぜられたものらしいが、よくもまあ、名優たちもこんなつまらない臺詞を大眞面目で暗誦したもの哉、よくもまあ、觀客も辛抱して見てゐたもの哉、つくづく呆れ、不愉快にさへなつた。
女 此頃お仕事をなさいませんのね。
男 出來ないのです。行き詰つて其處から奧へどうしても突き入れないんです。
女 今にお出來になりますわ。せきとめられた水が塞を破つて出るやうな勢で。
馬鹿にするな、と言つてやりたい。これはほんの一例であるが、まあ、たいていこんな按配で、とても讀んで行けない。戲曲に限らず、大正時代の文學で、たいへん有名なものでも、今讀むと實にひどいのが多い。いちど全部、大掃除の必要があるやうに思はれる。それで、その戲曲の話だが、いろいろ讀んで、私にはやはりチエホフの戲曲が一ばん面白かつた。チエホフの有名な戲曲は、たいてい田舍の生活を主題にしてゐる。いま私は、戰災のため田舍暮しを餘儀なくされてゐるが、ちやうどいまの日本の津輕地方の生活が、そつくりチエホフ劇だと言つてよいやうな氣さへした。津輕地方にも、いまはおびただしく所謂「文化人」がゐる。さうしてやたらに「意味」ばかり求めてゐる。たとへば、「伯父ワーニヤ」のアーストロフ氏の言の如く、
――インテリゲンチヤには閉口です。あの連中は我々の善良なる友人であるが、考へが偏狹で感情はうそ寒く、自分の鼻からさきの事はまるで見えない……何の事はない、ただもう馬鹿なんです。少し利巧な見ばえのするやうな人間は、これはまたヒステリイ、疑ひと卑屈に蟲食はれてしまつてゐます……かういふ手合ひは愚痴を言ふ、人を憎む、病的に讒謗を逞しうする。そして人に接するのにも、わきの方からそつと寄つて行つて、じろりと横目で見て、「ああ、あれは變態だ!」とか、「あれは法螺ふきだ!」とか一口に言つて片づけてしまふ。ところが、例へば私の額に、どういふレツテルを貼ればいいか分らないやうな時には、「あれは妙な奴だ、どうも妙な奴だ!」と言ふ。私が森がすきならこれも妙、私が肉を食はなければこれもやつぱり妙だと來る。まあ、かう言つたやうなもので、自然や人間に對する素直な、清い、鷹揚な態度は既にないのです……ない、全くない!
それからまた「櫻の園」のトロフイーモフ氏の言の如く、
――僕の知つてゐるインテリゲンチヤの大部分は、何物も、求めてゐないし、さうして何一つ仕事もせず、勞働に對しては今のところ無能です。彼らは自らインテリゲンチヤと稱しながら、召使…