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古川ロッパ昭和日記
ふるかわロッパしょうわにっき
作品ID52690
副題02 昭和十一年
02 しょうわじゅういちねん
著者古川 緑波
文字遣い新字旧仮名
底本 「古川ロッパ昭和日記〈戦前篇〉 新装版」 晶文社
2007(平成19)年2月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-07-04 / 2014-09-16
長さの目安約 222 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

前年記



 昭和十年は、浅草から丸の内へといふ、僕にとっての一大転機の年として記念すべき年であった。
 昭和七年一月宝塚中劇場のスタート以来、七年一杯をわれらがレヴィウ「悲しきジンタ」の大阪松竹座、浅草大勝館公演と、帝都座の「海のナンセンス」等、小やかなアトラクション俳優として過し、その暮に、新橋演舞場のカーニヴァル座結成、昭和八年正月の公園劇場出演、二月の大阪・京都吉本興行の寄席廻りと、名古屋松竹座出演を経て、四月浅草常盤座に「笑の王国」旗挙げ、之が意外の当りで、つひに昭和八年四月から、昭和十年六月まで、浅草の役者となり、漸く力を養ひ、昭和十年七月、東宝へ一座を統ゐて転じ、初めて名目共に古川緑波一座としての公演を開始し、横宝、有楽座、日劇、宝塚中劇場に出演し、中でも日劇の「歌ふ弥次喜多」の大当りに、漸く僕の名が丸の内を中心に、東京的になり、全国的になりつゝある、といふ現在である。
 短い間に、役者修業もし、ショウマン的苦労もした。
 すべては、これから。準備は出来た! これから出帆である。
 役者となりて五年目の春、いざ、はり切って進まんかな。
[#改ページ]

昭和十一年一月



一月一日(水曜)
 京宝劇場初日。
 宿で、屠蘇・雑煮。屠蘇は甘味なく、雑煮は白味噌の汁なり。夕刻、思ひついて相鴨のすきやき、青い葱と水菜がうまく、たっぷり食って、宿を出ると、つい二三丁のところ、京宝劇場、今日初日で夕五時半から一回。入りは満員。一の「学校友達」では、客が乗ってない感じで心配したが「ガラマサ」の一景で安心した、笑ひすぎる程よく笑ふので、セリフの次が出ない位だ。五景迄無事だったが、三味線ひきの爺がひどくて、肝腎の義太夫のクライマックスが、てんでいけない。代へて貰はないと芝居が出来ないと言っておく。「歌ふ弥次喜多」は、大受け、先づ安心した。徳山と岸井が、今夕四時に着いたが、二人とも風邪をひいてゐる。初日ながら十時打出しの好成績。宿へ帰り、かやく飯を食ふ。吸入かけてねる。
 京都の客は、女が多く、よく笑ふ。但し、ニュース的神経はなく、たゞ可笑しいものが可笑しいと云った型なり。宝塚はインテリ風、京都は一口に素直と云ふべきか――さて名古屋は何んなものか。


一月二日(木曜)
 京宝劇場二日目、今日より二回である、十二時すぎ楽屋入り。もう満員である。「ガラマサ」又三味線でくさったが、受けることは驚くべきもの。「歌ふ弥次喜多」も、ワッと笑の波のどよめき具合が日劇を思ひ出させた。一回終り、部屋でカツレツをとって食ふ。島村来り、二十二日初日の日劇アトラクションについて話す。結局僕が書くより他はない、やれ辛し。夜の部、もう満員。芝居はうまく行ってゐるのだが、暗転がマチ/\でくさらされた。要するに此の劇場は人間が不足なのである。ハネ、九時四十五分。調子よくないので、宿で吸入に…

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