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〔編輯余話〕
〔へんしゅうよわ〕 |
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作品ID | 52722 |
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著者 | 牧野 信一 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「牧野信一全集第一巻」 筑摩書房 2002(平成14)年8月20日 |
初出 | 入社の辞〔『少女』〕「少女 第八十一号(鳩ちやん号 九月号)」時事新報社、1919(大正8)年8月6日、入社の辞〔『少年』〕「少年 第一九三号(平和記念号 九月号)」時事新報社、1919(大正8)年8月8日、銀座の月「少年 第一九四号(月世界探検号 十月号)」時事新報社、1919(大正8)年9月8日、夜と孔雀「少女 第八十五号(新年号)」時事新報社、1919(大正8)年12月6日、音楽家「少女 第八十六号(二月号)」時事新報社、1920(大正9)年1月6日、楽天家の悲観「少女 第八十七号(三月号)」時事新報社、1920(大正9)年2月6日、歌ひませう「少女 第八十八号(四月号)」時事新報社、1920(大正9)年3月6日、春の心「少女 第八十九号(五月号)」時事新報社、1920(大正9)年4月6日、ゆく春「少女 第九十号(六月号)」時事新報社、1920(大正9)年5月6日、初夏「少女 第九十一号(七月号)」時事新報社、1920(大正9)年6月6日、困つた話「少女 第九十三号(九月号)」時事新報社、1920(大正9)年8月6日、秋の野辺へ「少女 第九十五号(十一月号)」時事新報社、1920(大正9)年10月6日、当二歳「少女 第九十六号(十二月号)」時事新報社、1920(大正9)年11月6日、春の自慢話「少女 第九十七号(新年号)」時事新報社、1920(大正9)年12月6日、又も自分の話「少女 第九十八号(玉椿号 二月号)」時事新報社、1921(大正10)年1月6日、夢をのせて「少女 第九十九号(つみくさ号 三月号)」時事新報社、1921(大正10)年2月6日、春は嬉しい「少女 第一〇〇号(記念増大号 四月号)」時事新報社、1921(大正10)年3月6日、〔無題〕「少年 第二一四号(日英同盟号 六月号)」時事新報社、1921(大正10)年5月8日 相撲「少年 第二一五号(伝説物語号 七月号)」時事新報社、1921(大正10)年6月8日、山口君を送る「少年 第二一六号(夏期特別号 八月号)」時事新報社、1921(大正10)年7月8日、〔無題〕「少女 第一〇四号(思出の巻 八月号)」時事新報社、1921(大正10)年7月8日 山か海か「少年 第二一七号(御渡欧記念号 九月号)」時事新報社、1921(大正10)年8月8日、遭難「少女 第一〇五号(御渡欧記念の巻 九月号)」時事新報社、1921(大正10)年8月8日、秋近し「少年 第二一八号(東宮奉迎号 十月号)」時事新報社、1921(大正10)年9月8日、非カゲ弁慶「少女 第一〇六号(コスモスの巻 十月号)」時事新報社、1921(大正10)年9月8日、沈黙の七路「少年 第二一九号(晩秋号 十一月号)」時事新報社、1921(大正10)年10月8日、私に送られた詩「少女 第一〇七号(秋草の巻 十一月号)」時事新報社、1921(大正10)年10月8日、御見舞御礼「少年 第二二〇号(読者文藝号 十二月号)」時事新報社、1921(大正10)年11月8日、お詫びのこと「少女 第一〇八号(時雨の巻 十二月号)」時事新報社、1921(大正10)年11月8日、大演習「少年 第二二一号(新年号)」時事新報社、1921(大正10)年12月8日、お伽噺「少女 第一〇九号(新年号)」時事新報社、1921(大正10)年12月8日、頭かきか記「少年 第二二五号(五月号)」時事新報社、1922(大正11)年4月8日、小田原より「少女 第一一三号(皐月の巻 五月号)」時事新報社、1922(大正11)年4月8日、或る夕方「少女 第一一四号(水無月の巻 六月号)」時事新報社、1922(大正11)年5月8日、風かほる頃「少年 第二二七号(七月号)」時事新報社、1922(大正11)年6月8日、元気回復「少女 第一一五号(文月の巻 七月号)」時事新報社、1922(大正11)年6月8日 |
入力者 | 宮元淳一 |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2011-07-17 / 2016-01-30 |
長さの目安 | 約 28 ページ(500字/頁で計算) |
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入社の辞〔『少女』〕
私はこの七月から入社いたし皆様のために働くことゝなりました。私の心は悦しさに充ちて居ります。それは皆様といふ沢山なお友達を得ることが出来たからであります。庭の草花もほゝえむでゐるかのやうに見える程、私は爽かさを感じながら面白く仕事をして居ります。
しかし世の中のことがさう易々と運ばれるわけはありません。殊に巣を出たばかりの私のすることは定めし皆様方に御不満が多からうと恐れてゐます。いづれは努力の結果が玉となつて皆様の前に見出される日はなければならないと私は堅く信じてゐます。
未来は長いのです。私はこれから皆様の前に活動することのみによつて、私の芸術を築き上げる決心です。
入社の辞〔『少年』〕
私は此の度本社に入社することになりました。私は皆様には初のお目見得であります。それと同時に私は社会といふものに初めて出会つたわけです。
私は長い間の学生生活を初めて脱したのです。学生時代の閑暇な日にはつくづくと疲労を感じました。奮闘努力、額に汗して働くといふことはどんなに愉快なことだらうと思つてゐました。その通り私は今非常に清々しい思ひで事に当つて居ります。
然し私は未だ何の経験も持たぬ者です。こゝしばしは諸先生方の御指導と諸君の御同情とに依り、近き将来には充分皆様へ御満足を与ふるだけの素養をつくらむことを期して居ります。
銀座の月
記者(私もいよいよ自分の事をかういふやうになりました。)は、毎日素ばらしい元気で働いて居ります。避暑などといふ意気地のない事は考へもしません。働いてゐる間に感ずる清々しい気分が、一番愉快なのですもの。つい此の間、仕事が山のやうに溜つたものですから、記者は夜の編輯部に活動してゐました。周囲は静かになつてゐました。珍しくも窓に月が見えました。街の梧葉を吹いた微風が汗ばんだシヤツを程よくかすめました。……その時の気分は何と云つていゝかわかりませんでした。……来号にはこんな事を書かうと独りうなづきながら、歩いて帰りました。記者はこれで仲々運動はやつたものです。殊に競走などはうまかつたものです。どうです読者諸君、一つ戦ひませうか。野球でも庭球でも何でも御座れ! それとも諸君と一処にチームを作つてアメリカへ遠征でもしませうか。
夜と孔雀
△皆さんのお友達となつて丁度半年となりました。学生々活を脱したすぐその日から、名誉ある鳩ちやんの記者となつたことは、私としては余りに喜ばしいことです。こうして私の未来は永久に鳩ちやんと共に輝かしい春の花園に暮すことが出来るかと思へば自分の力で出来得ることならさうしてそれが鳩ちやんのためになることなら、如何なる努力も厭ひません。
△幸ひに方々の皆様から種々御親切なお言葉を送られ、その度毎に私は自分の責任の重いことを感じて居ります。新しき年に新しい努力を充して精一…