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吾家の随筆
わがやのずいひつ |
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作品ID | 52747 |
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著者 | 牧野 信一 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「牧野信一全集第二巻」 筑摩書房 2002(平成14)年3月24日 |
初出 | 「文藝春秋 第三巻第六号(六月号)」1925(大正14)年6月1日 |
入力者 | 宮元淳一 |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2011-07-29 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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私は、初歩英語読本が随分好きだつた。往年それらの聚集モノメニアに陥つて、海外の知友の助けまでかりて幅は三尺位ひだが四段になつてゐる書架を一杯以上にしたことがある。十年も前のことなんだが、その為に英語のほんとの勉強を疎かにして今もつて初歩英語以上の知識は備はらず、馬鹿を見たと思ふこともある。だがその文庫は随分私を悦ばせて呉れた。モノメニアには違ひなかつたのだ、単純なものを悦び始めれば限りがないからな! 一種の神経衰弱病である。そんな時には小学一年の国語読本の第一章を思ひ出して、ハ、ハタ、タコ、コマ、マリ、マツニツキ……など朗吟しても涙が滾れる、“Are you a man?”“Yes, I am a man.”“Are you a girl?”“No, I am a boy.”――そんなことを呟いても、何だか面白くなつて、肚に力を込めたりするのだ。今度は皆な整つて、と先生が云ふと、中学一年級全体が一つの大声になつて、ジス、イズ、エー、スクールと合唱する、その時私はその合唱隊に加はるのが何となく厭で、決して声を挙げたことがなかつた、口だけ動かしてごまかした。
その文庫に就いては近頃転々常に座右に一書物もないやうな日ばかりを送つてゐるんだから止むを得ないが、時々思ひ出すことがある。だが余り古いことで細いことは忘れてゐるのは物足りない。女学校二年の従妹が、この間読本の一節を示してこゝを訳して呉れと云つた。怠惰な鼠といふ一章で、自分も習つた覚えのあるところだつた。覚えがなければ、たとへ二ノ巻読本でも私には、あんなにスラスラと訳せる筈はないのだ。私は、酒を飲みながら得意になつて翻訳した。――「一匹の若い鼠が或る水車小屋に大勢の仲間と共に住んでゐた。彼は大変な怠け者で何をするのも厭がつた。彼の先輩が、夜になつたら一処に出かけないかと誘ふと彼はいつでも、僕は知らないと云ふのが常だつた、それではお前は、此処に凝つとしてゐたいのかと更に訊ねると、矢張り彼は同じ返答をするばかりだつた。或る日一匹の老先輩が、お前がそんな風にばかりしてゐると誰もお前のことを関はなくなつてしまふよ、時には自分の考へを棄てることも好いが、全々無考へでは仕様がないよと忠告した、彼は坐り直して一寸と小悧口気な顔つきをしたが、さて答へる術はなかつた。何故黙つてゐるんだ、お前はさうは思はないのか? 僕は知らない、と彼は云つたゞけだつた。そして、彼は、穴の中に引ツこんでゐた方がよからうか、それとも出掛けた方がよからうか? 孰れにすべきか一時間ばかり考へる為にノロノロと歩み走つた。――或る日非常な暴風雨が起つた。古い小屋だつたから今にも危ぶなかつた。軒は歪み、板は飛び、柱は傾き……鼠達は身を縮ませた。」
そこで一同は、先発隊を派遣して新居を求め、いよいよ出発にとりかゝつた。私は声に節をつけて読み続けた――「集…